2007-01-01から1年間の記事一覧

安らかに一年を閉じる (下)  詩編16篇

(3) ある注解者は、この詩編は、実際はダビデの作でなく、レビ族の一人の詩と見ています。もしレビ族なら、彼はどこにも安住の土地を持ったない者です。というのは、彼らは神に仕える者であり、神の礼拝のために献げられた氏族でしたから、カナンの地には…

安らかに一年を閉じる (上)  詩編16篇

(序) 今日は「安らかに一年を閉じる」という題です。年末になって、安らかどころではなくなった方々もおられますが、それでもその方々も安らかに、いやその方々こそ安らかに一年を締めくくって頂きたいと願って、切なる祈りを持ってここに立っています。 …

「東方の博士たち」 (下) マタイ2章1-12節

(3) 博士たちは、王から、星の現われた時期などを聞かれたとき、正直に答えました。またベツレヘムに送り出された時も、用心し過ぎて、王の言葉を警戒して出かけなかったのでなく、素直にすぐ出かけました。 すると、東方の星が先立って進み、遂に幼子の…

「東方の博士たち」 (上) マタイ2章1-12節

(1) 救い主の誕生を最初に拝みに来たのはユダヤ人でなく、東方の占星術の博士たちであったと今日のマタイ福音書にありました。これは非常に興味深いことです。 占星術というといささか眉唾ものの感がありますが、彼らは古代の科学者であり、天文学者・物…

洗礼 (下)  ローマ6:1-11

(3) ですから洗礼は新生です。新しく生まれることです。「誰でも、キリストにある者は、新しく創造された者なのです。見よ。古いものは過ぎ去った。全てが新しくなった」と、聖書にある通り、新しい創造が私たちの上に起ることです。それが皆さんの上に起…

洗礼 (上)  ローマ6:1-11

(1) 先ほど洗礼をお受けになった方々に一つの言葉をお送りいたします。それは、昨日発見したのですが、この洗礼盤が入れられている木の箱に記されていた言葉です。 「あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を完成…

知と愛 (下)  コリントの信徒への手紙13章1-3節

(3) キリスト教信仰は、歴史に根ざしています。抽象的なものや観念的なもの、むろん空想の産物ではありません。 今日はアドベントの第2週です。私たちが待っているのは単なる神の言葉でなく、肉をとりたもうた神の言葉です。ナザレのイエスとなって受肉…

知と愛(上)  コリントの信徒への手紙13章1-3節

(1) 著者のパウロはこの手紙を通して、教会とは何か、私たちは信仰生活を共同でしていますが教会共同体とは、信仰共同体とはどういうものかを語っています。 そのことは1章からすでに明らかで、洗礼を受けてキリスト者になることを「キリストに結ばれる…

今日からクリスマスを待とう(下)  マタイ7章7-11節

(3) さて、イエスは話を更に先に進めて、「あなたがたの誰かが、パンを欲しがる自分の子どもに石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに蛇を与えるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良いものを与えることを知ってい…

今日からクリスマスを待とう(上)  マタイ7章7-11節

(1) イエスは、「求めよ、探せ、門を叩け」と語られました。イエスの語られることは積極的です。「果報は寝て待て」というような、あなた任せの消極的態度ではありません。 最近10代の少年たちの間にステロイド剤の一種である筋肉増強剤を飲むことが流…

蜜のように甘い言葉(下)  エゼキエル3章1-11節

(2) さて、巻物を食べよと言われて彼はそれを食べました。彼は単にそれをむしゃむしゃと食べたのでなく、命の糧、魂の糧としていただいたのでしょう。それを食べて語れというのですから、神の言葉である聖書を霊の糧として食したのです。 私たちも聖書を…

蜜のように甘い言葉(上)  エゼキエル3章1-11節

(1) 先ほどの聖書に「反逆の民」とありましたし、2章には「反逆の家」という言葉があります。イスラエルの民は頑なで神の言葉を聞き入れようとせず、エレミヤやイザヤなど多くの預言者が送られますが、とても頑固なためにいっこうに悔い改めず、遂にBC5…

不安でなく喜びの生活   ルカ9章24節

(1) 神がみ子を世に遣わされたのは、「世を裁くためでなく、み子によって世が救われるためである」とヨハネ福音書は語ります。イエスが来られたのは、世が救われるためであり、全ての人間が例外なくその命を十分に生きることができるようになるためでした…

どう生きる―永眠者を覚えて―(下)  ヨハネ3章1-8節

(4) イエス様はそこで、「人は新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と言われ、「肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である」と語られたのです。 日々の生活を新しく生きるには、神様からの霊、キリストの十字架と復活…

どう生きる―永眠者を覚えて―(上)  ヨハネ3章1-8節

(序) 今日は永眠者を記念する礼拝です。ご遺族の皆様も出席しておられます。 私たちの教会は、19年前、荒川の町屋に伝道所を生み出しました。そのため両教会の連帯性を大事にして、町屋に移って召された18人の方と、この教会で召された25人の方の信…

雨蛙の歌 ―あなたは神の作品― エフェソ2章8-10節

(1) 今日の箇所に、「あなたは神に造られた者であって、しかも神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたのです」とありました。 「神に造られた者」という言葉は、前の訳では「神の作品」となっていました。何か…

あなたは手段ではない マタイ12章15-21節

(1) 私たちの周りには、その人が現われるとほっとして、希望を与えてくれそうな人というのがあります。そういう人は悲観的でなく、事実を見ながらも楽観的です。どんなことが起っても笑っているようなところがあります。 イエスが他の人と違うのは、人を…

ヨブ ―苦難が授けた悟り―(下)  ヨブ記42章1-6節

(4) ところが3章からのヨブは、神は呪いませんが、自分を呪いはじめます。余りの辛さに、自分の生まれた日も、自分の存在することも呪います。それは神を呪うことでありませんが、自分を呪うことは神を呪うことのすぐ隣にあるものです。 そういうきわど…

ヨブ ―苦難が授けた悟り―(上)  ヨブ記42章1-6節

(1) 何も悪いことをしていない無垢の人間が、どうして災いに遭うのか。また、神を信じ、善を行ってさえいる人間が、どうして災難にあい、悪の犠牲になるのか。これは永遠に今日的なテーマです。 不慮の死というのがまれになった今日、「なぜ」ということ…

形でなくこころ(下)  イザヤ1章11-18節

(4) イザヤは、「悪を行うことをやめ、善を行うことを学び、裁きをどこまでも実行して」行くということを、「孤児の権利を守り、やもめの訴えを弁護せよ」ということと同列にして述べます。 神は、一部の人たちでなく、全ての人と結びついておられます。…

形でなくこころ(上)  イザヤ1章11-18節

(1) 先週の水曜日は思いがけないことが起こりました。世界第2の経済大国と呼ばれ、先進主要国の一つである日本の首相がどんなに脆い人であったか、一国を率いる代表者がこんなに未熟な人間でよかったのだろうかと、社会や国、また人間というものについて…

全地に満ちる神の栄光(下)  詩編8篇2-10節

(4) ところが、ダビデの神への賛美はそこで終わりません。続いて、「神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていただかせ、御手によって造られたものをすべて治めるように、その足元に置かれました。羊も牛も、野の獣も、空の鳥、海…

全地に満ちる神の栄光(上)  詩編8篇2-10節

(1) この詩は、ダビデの作であると書かれていますが、彼の晴れやかな、健康な気質がよく表れている詩のひとつです。 「あなたの御名は、いかに力強く全地に満ちていることでしょう」、「天に輝くあなたの威光をたたえます」と言った表現。また満天の星を仰ぎ…

よい羊飼いとは(下)   ヨハネによる福音書10章7-18節

(3) さて、羊飼いがするもう一つの事。一つに呼び集めるという事。あるいは、いろいろの群れを集めて一つの群れとして導くという事は、(そこには凝縮した素晴らしい意味が詰まっていますが)別の時に詳しくお話し申し上げることにして、今日はその一部を…

よい羊飼いとは(上)   ヨハネによる福音書10章7-18節

(1) 旧約聖書でも新約聖書でも、あちこちに羊飼いと羊の話が出てきます。有名なものでは、詩編23篇の「主は、私の羊飼い」があります。新約では「迷いでた一匹の羊」の譬(たと)えが有名です。今日の箇所は、イエス様がよい羊飼いに譬えられています。…

目に見えるキリストの姿  使徒言行録2章29-42節

(1) イエスの復活から丁度50日目に、エルサレムで集まっていた弟子たちの上に不思議なことが突然起りました。 激しい風のような音が弟子たちの隠れ家全体に響きわたり、一人ひとりに炎のようなものが分かれて留まったかと思うと、一同は復活のキリスト…

「高価な真珠」 マタイ13章45-46節

最初に、聖書を幾つか読ませていただきます。 ・マタイ13章45-46節 (省略) ・詩編37篇23-24節 「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる。人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていてくださる」 ・…

君には新しい霊が必要だ(下)  エゼキエル36:25-28

(前回から続きます) (3) 神は、彼らに新しい心、「新しい霊を置く」とあります。私たち人間がそういう霊を置くのでも創り出すのでもありません。人が努力しても新しい霊にはなりません。人間が創りだすものは似て非なるものです。贋物の臭いがします。…

君には新しい霊が必要だ(上)  エゼキエル36:25-28

(はじめに) 今日の題は、「君には新しい霊が必要だ」ですが、「私たちには新しい霊が必要だ」という題の方が良かったと思っています。 個人的な歩みを考えても、日本社会の現状を見ても、また戦後62年の8月15日を迎えようとしている日本の国を見ましても、…

誰も泣かせない社長(下) マタイによる福音書20:1-16節

(前回から続く) ヘンリー・ナウエンさんは、何回かご紹介していますように、ハーバード大学を辞めて知的障害者の施設で働くようになったわけですが、それに決定的な影響を与えた人があります。ナウエンさんは、「彼がいなかったら、私は今頃どこにいただろ…