2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

イエスをお乗せして生きる

「いまからお話しするのはスイスのみんわよ…」。大聖堂の前でストーリーテリングが始まりました。 冒険のある人生 (下) マルコ4章35-41節 (4) 丁度10年前です。前の教会にいた時、西暦2000年を迎えました。その時、私は、イエスの誕生以来…

冒険しなければイエスが分らなかった

ベルン大聖堂のステンドグラス (2) 冒険のある人生 (中) マルコ4章35-41節 (3) その中で、弟子たちは眠るイエスを呼び起こすのです。迫害の中にあった教会は、自分たちの困窮をイエス・キリストに訴え、祈ることを思い出すのです。もはや自分た…

教会のいらだち

ベルンの大聖堂 冒険のある人生 (上) マルコ4章35-41節 (1) 今日の最初に、「その日の夕方になって、イエスは、『向こう岸に渡ろう』と弟子たちに」呼びかけられた。それで、「弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した」とあ…

教会の建築について

ベルン大聖堂のステンドグラス(1) 岩を土台とする教会 (下) マタイ7章24-29節 (2) さて、私たちの教会は、新しい年度を迎え、新しい幻をもって進もうとしています。教会の建物がかなり傷んで傾きつつあるので、新築するか、リフォームするかを…

聖書は思想書というより実践の書

大聖堂から見下ろすベルンの甍(6) 岩を土台とする教会 (上) マタイ7章24-29節 (1) イエスは、山上の説教の最後に、この岩と土台の譬えを語られました。 「そこで、私のこれらの言葉を聞いて行なう者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似…

地上をどう生きる

大聖堂から見下ろすベルンの甍(5) 地上をどう生きる (下) コロサイ1章1-2節 (4) もう一箇所は使徒言行録9章です。そこに、パウロ自身の言葉ではありませんが、アナニヤという人物に神様が語られる言葉が記されています。「あの者は、私の名を伝…

金光教から牧師へ

大聖堂から見下ろすベルンの甍(4) 地上をどう生きる (中) コロサイ1章1-2節 (2) さて、ここには何人かの若い方々もおられます。で、自分は何のために生まれたんだろう。自分の生涯の使命は何だろうと悩んだり、考えたりしている方もあるかも知れ…

パウロと一期一会

大聖堂から見下ろすベルンの甍(3) 地上をどう生きる (上) コロサイ1章1-2節 (1) 今日から、今読んで頂いた「コロサイの信徒への手紙」を、1年前後かけて時々学ぼうと思います。 コロサイは、現在のトルコの内陸部にあった小さな町です。紀元前…

イエスの復活と女性たち

大聖堂から見下ろすベルンの甍(2) 主の復活と女性たち (下) ルカ福音書24章1-12節 (3) 「なぜ、生きている方を死者の中に捜すのか。復活なさったのだ」とは、死者や墓でなく、生きておられる方に目を向けよ。主は復活し、あなた方の只中に生き…

亀の家の家庭訪問

大聖堂から見下ろすベルンの甍(1) 主の復活と女性たち (中) ルカ福音書24章1-12節 (2) 戸惑う女性たちに告げられたのは、どうして、「生きておられる方を墓に捜しに来たのか」という言葉でした。そんなことを言われても誰しも戸惑いますが、な…

韓国にある中国人教会

ベルンの日曜日のバザール 主の復活と女性たち (上) ルカ福音書24章1-12節 2010年4月4日 (序)東京は、今日桜が満開になりました。朝散歩に出ましたら、石神井川の桜に遠くまで誘われてあわてて帰って来ました。今年はなぜ花冷えがこんなに長…

イエスとの絆 (下)

ベルンのバザールに来た親子 イエスとの絆(下) フィリピ4章21-23節 (3)「聖なる者たち」とあります。だが神聖な聖人、聖女たちのことではありません。この言葉も、キリストに、神に「結ばれた」人たちのことです。ですから皆さんが聖なる人たちで…

イエスとの絆 (上)

ベルンの旧市街 イエスとの絆(上) フィリピ4章21-23節 (1)今日は棕櫚の主日です。イエスが12弟子たちとエルサレムに入城され、5日後にされこうべ(ゴルゴタ)と言われる丘で処刑されました。世界の人たちは、この一週間を聖なる受難週としてイ…