日本に抵抗した人々

                   ノートル・ダム大聖堂を覚えて10 扉の文様     右端クリックで拡大

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                                                  いずこにも光がある (中)

                                                  使徒言行録8章1‐4節

                                 (1)

  サウロはやがてパウロと名乗るキリスト者になる人物ですが、この時はステファノの殺害に賛成していたのです。7章の最後で起こったステファノへの石打の刑。それはリンチでしたが、彼は大小の石を全身に浴びながら「主イエスよ、私の霊をお受け下さい」と祈り、最後に渾身の力を振り絞って跪き、「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と大声で叫んで、そのまま倒れ込んで永遠の眠りに就きました。サウロはその時、傍で、石打の刑に賛成して上着を置く者たちと実際に石打に加わる暴漢たちの上着の番をしていました。彼はステファノに石をぶつけたかどうかは分かりませんが、サウロは「殺害に賛成していた」とあります。この言葉は、無条件で賛成すること、もろ手を挙げての同意を指します。彼は、上着の番をしながら、「殺せ、殺せ、やっつけろ。生かしておくべきではない」と、叫んでいたでしょう。

  さて、先ほど辿りましたように、「その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤサマリアの地方に散って行った。」ステファノの処刑が引き金になり、一挙にエルサレム教会にユダヤ教の暴漢たちが集団で押し寄せ、情け容赦ない大迫害が巻き起こったのです。大迫害とあるのは、数の上でもそうでしょうが、非常にむごい、情け容赦のない、残虐な迫害です。誕生間もない、小さな信仰者の群れへの集中的な迫害で、書き留められていませんが、何人かの犠牲者も出たでしょう。

  すると、「使徒たちのほかは皆、ユダヤサマリアの地方に散って行った」のです。クリスチャンの実数は分かりませんが、数百人、数千人でしょうか、避難民となって即刻ユダヤの地方、サマリアの地方の田舎の町や村に逃げました。持てる荷物を持ち子どもを抱いて逃げる人、杖をついて逃げる人もいたでしょう。

  ただ危険を承知で、12使徒エルサレムに踏みとどまったのです。これは凄い事です。彼らはイエスの徹夜の祈りをもって選ばれた人たちですが、共に、イエスを見捨てて逃げたという脛に傷持つ弟子たちです。だが、今はどこにも逃げず、断固として十字架の主を仰いでエルサレムに踏みとどまったのです。殉教を覚悟していたでしょう。ステファノに続こうとしたのです。

  彼らだけではありません。「信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。」人々とあるのは男たちです。女性は真っ先に逃がしたでしょう。大変悲しむとは、胸を叩いて悲しむこと。韓国の人たちも胸を叩いてアイゴー、アイゴーと言って悲しみます。日本風に言えば、髪掻きむしって悲しむと言えばいいでしょうか。だが、ステファノの霊的な信仰、その霊性と品性、その働きに接した信仰深い男たちは大いに悲しみ、身に危険が及ぶに拘わらず、置き去りにされている遺体を引き取って葬ったのです。これだけでも大変勇気が要ります。すでに仲間たちはエルサレムを離れています。いつ自分らは襲撃されるか分かりません。

  では、いち早くエルサレムを飛び出した人たちを、彼らや聖書は批判や非難しているのでしょうか。そうではありません。彼らは「散って行った」のです。これはデアスポラという言葉です。彼らは迫害で散らされます。だが、神は人間の迫害をも逆手にとって彼らを世界に散らされたのです。エルサレムという狭い世界でなく、もっと広い世界で神が彼らを用いられるためです。

  用いられるために、更に大きな試練、厳しい試練が待ち構えているかも知れません。こうあります。「一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。」サウロは、エルサレムに残って隠れているキリスト者をシラミ潰しに探し出し、ひっ捕らえて牢に送り、教会に打撃を加えようとしたのです。キリスト者たちの間に大きな悲しみが起こりましたが、サウロは、この大迫害を絶好のチャンスと考えて、キリスト教徒を根絶しようと図ったのでしょう。引き出しとありますが、抵抗して嫌がるのを力ずくで引きずり出すことです。

  家に押し入って引きずり出すこの場面は、日本が戦前に朝鮮半島で行った朝鮮人への非道な強制連行を思い出させる場面です。日本での労働力になる男を見つけると、逃げるのを追いかけ、ひっ捕らえて、引きずってトラックの荷台に放り上げて、日本に強制連行しました。進んで日本に来る人たちもいましたが、逃げ回る人たちも多くいたのです。今、徴用工の裁判が韓国で起こっているのは、そういう背景があるからです。実は韓国にキリスト教徒が多いのは、日本が強権力を奮って植民地化し、日本軍の厳しい迫害に遭ったからで、これに抵抗する信仰に生きるキリスト者たちが多くいたからだと言われています。実際殉教を遂げたキリスト教徒たちが何人もいました。

  いずれにせよ、サウロは家から家を渡り歩いて、クリスチャンを捕らえては引きずって来て投獄した。「教会を荒らし」とあるように、彼の迫害は過激に進んで、キリストの体である教会、キリストご自身への迫害となって迫って行きます。

  ただ行き過ぎたこの過激さこそ、やがて彼が9章でキリストに捕まる伏線になり、やがては異邦人伝道として世界伝道が発展していく伏線にもなって行きます。神はあらかじめここに、福音の発展の伏線を置いておられたと見てもいいでしょう。

  この事は、4節の「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」という所にも見られます。彼らはディアスポラさせられてエルサレムから散らされて行きますが、迫害というこの試練が世界伝道に繋がるのです。

  散らされたキリスト者たちは単なる難民でありません。ディアスポラが用いられたのです。彼らは転んでも、信仰を持ってただでは起きなかったのです。どこにあっても復活の主がおられると信じ、いずこにも恵みの光が輝いていると信じて進んだ結果、世界にキリストの福音の広まるきっかけになります。

     (つづく)

                                            2019年5月26日

                                            板橋大山教会  上垣勝

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