2009-08-01から1ヶ月間の記事一覧

向こう見ずな女? (下)

マルコ12章41-44節 (2) 何故こんなことができたのか。この貧しいやもめは金銭にまさる確かなものを持っていたからでしょう。それは、神への強い信頼です。神は今、捧げることを命じられたのだから、必ず神さまが責任を取ってくださるという、神へ…

向こう見ずな女? (上)

マルコ12章41-44節 (序) 今日の所には、イエスはお金持ちややもめがしていた献金を見ておられたとあります。しかも賽銭箱の前に座って見ておられたというのです。イエスがご覧になるのと、私たちが見るのとは違います。私たちは手元を見ますが、イ…

向こう見ずな女

09年8月30日(日) 朝10時45分-12時頃 聖 書 マルコによる福音書12章41-44節 説 教 「 向こう見ずな女 」 牧師 上垣 勝 会 場 板橋区氷川町47-3 板橋大山教会 ・三田線「板橋区役所前」から徒歩5分 ・東武東上線「大山」駅から徒歩…

暁の光を見ていますか (下)

ルカ9章28-36節 (3) イエスはその変貌によって、ご自分の中に神の光が存在し、満ちあふれていることをお示しになっただけではありません。神の子であることを啓示されました。また、イエスは私たちとその恵みとまことを分かち合おうとされたのです…

暁の光を見ていますか (上)

ルカ9章28-36節 (序) 今日は「山上の変貌」と呼ばれる箇所からご一緒に学びたいと思います。これはガリラヤ地方にあるタボル山で起ったとか、北方のシリアにあるヘルモン山での出来事であるとか色んな説がありますが、場所は未だ不明です。ただこの…

キリストの内に自分を見出す (下)

フィリピ3章1-9節 (3) そして4節以下で、もし「肉にも頼ろうと思えば、私は頼れなくはない」と述べて、彼の堂々とした経歴を並べます。ユダヤ人なら羨むばかりのものです。 だがそれを披瀝した後、パウロは、「私にとって有利であったこれらのことを…

キリストの内に自分を見出す (上)

フィリピ3章1-9節 (1) パウロは今日の冒頭で、「では、私の兄弟たち、主において喜びなさい」と書いています。 「では」とは、2章の終わりに書いた、テモテとエパフロディトのことに関係して、「では」と言っているのでしょう。彼らをそちらに送るが…

自由を生きる (下)

ヨハネ8章31-32節 (3) さて、イエスは32節で、私の言葉に留まるならば、「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と語られました。真理そして自由です。自由には色んな自由があります。肉体的・身体的な自由もあり、心の自由、…

自由を生きる (上)

ヨハネ8章31-32節 (1) イエスはご自分を信じたユダヤ人たちに、「私の言葉に留まるならば、あなたがたは本当に私の弟子である」と言われました。 イエスは、ご自分を初めて信じた人たちに言われたのですから、いわばキリストを信じて入信したばかり…

愛に命をかけた男 (下)

フィリピ2章25-30節 (2) パウロがここで述べていることは、エパフロディトは実に男らしい男だということだと言えるでしょうか。今述べましたように、瀕死の病でありながら自分より自分を送り出した教会のことを思いやり、心配をかけたことを心苦し…

愛に命をかけた男 (上)

フィリピ2章25-30節 (序) 今日は、「愛に命をかけた男」という題で、この夏の暑さに拍車を掛けるような暑い題です。しかし、愛には熱い愛もありますが静かな愛もありす。また、聖書の愛は上っ面のものでなく、海のような深さがあります。それは神と…