2009-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「獄中に光があった」 (下)

フィリピ1章12-19節 (3) …今日は、「獄中に光があった」という題です。パウロがそこにいることによって、暗黒の牢獄に光が射したのです。 パウロは独房にいたか、雑房に入れられていたか分かりませんが、人々は、いかなる権威をも恐れず、屈しない…

獄中に光があった (上)

フィリピ1章12-19節 (1) パウロが伝道し、ヨーロッパで最初に生まれたのがフィリピ教会でした。しかし、その教会はまだ教会の建物を持っておらず、誰かの家で集まる「家の教会」であったでしょう。そういう初期の教会の姿をとどめていたと思われま…

「あなたを迎えるイエス」 (下)

第一コリント9章19-23節 (3) 今日の箇所に続く24節以降で、競技場で走る人々、アスリートのことが出て来ます。パウロは、福音が広められるためには節制が必要だと言っています。自己訓練が必要であり、自分を打ち叩いて服従させることも必要な時…

「あなたを迎えるイエス」 (上)

第一コリント9章19-23節 (序) 「全て重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい」とイエスは言われました。またヨハネ福音書は、「全ての人を照らすまことの光があって、世に来た。彼は世にいた」と書いています。 私たちの信仰は普遍性の心…

「動揺せず生きよう」 (下)

詩編62編2-13節 ヨハネ5章19-30節 …ブレヤさんは10歳の時に信仰に目覚めたというのです。父親は40歳の若さで積極的な無神論者でした。ところがある日、重い脳卒中で倒れ、命も危うくなりました。少年ブレヤは直ぐに学校にやられたのです。す…

「動揺せず生きよう」 (上)

詩編62編2-13節 ヨハネ5章19-30節 (1) 今日は、ヨハネ福音書の方でなく、主に交読をしました詩編62編からみ言葉を聞きたいと思います。 その2節に、「私の魂は沈黙して、ただ神に向かう。神に私の救いはある。神こそ、私の岩、私の救い、…

家庭に不可欠なもの (下)

(今日の写真は、ホントネーからヴェズレーへ向かう道) マタイ福音書18章21-35節 (5) イエスはこの譬えによって、私たちが何回まで赦せばいいのかと赦しに制限を加えて、それを越えたら裁こうとする私たちに、この譬えを鏡にして自分の姿を映し出…

家庭に不可欠なもの

マタイ福音書18章21-35節 (序) 家庭は、社会という大きな共同体を成り立たせている核となる共同体です。その家庭に不可欠なものは何でしょう。お金でしょうか。住居でしょうか。健康でしょうか。仕事でしょうか。無論それらは大切ですし、安定した…