2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

人生の徹底的な肯定

今週、アドベントが始まりました。リヨン美術館で(17) 右端クリックで拡大 ・ 全世界に伝えられる福音 (中) ルカ24章44-53節 (1) 長い前置きになりましたが、今日の所に、「イエスは言われた。『わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩…

前進できる場所は必ずある

リヨン美術館で(16) 右端クリックで拡大 ・ 全世界に伝えられる福音 (上) ルカ24章44-53節 (序) 今日は、2012年からほぼ4年半、ルカ福音書10章以降から始めて取り上げて来ました、その最後になります。 先週は、復活のイエスのユーモ…

後の日を笑って生きる

リヨン美術館で(15) 右端クリックで拡大 ・ キリストと焼き魚 (4) ルカ24章36―43節 (4) 箴言31章に賢い妻について述べられています。色々なことが述べられる中、こうあります。彼女は「力と気品をまとい、未来にほほえみかける。」前の口…

焼魚とキリスト

リヨン美術館で(14) 右端クリックで拡大 ・ キリストと焼き魚 (3) ルカ24章36―43節 (3) 少し難しい所に入りますが……、神にとっては死生を越えていますから、それらは同じです。究極の方から見れば究極以前のものの姿は同じです。復活のイエ…

復活のもどかしさ

リヨン美術館で(13) 右端クリックで拡大 ・ キリストと焼き魚 (2) ルカ24章36―43節 (2) その時、そこにイエスが入って来て真ん中に立たれたのです。そして、「あなたがたに平和があるように」と言われた。イエスに罪を覆われた人々には「平…

罪人の連帯の場

リヨン美術館で(12) 右端クリックで拡大 ・ キリストと焼き魚 (1) ルカ24章36―43節 (1) 大山教会は庶民的な教会です。今日は「キリストと焼き魚」という、朝からサンマの臭いがして来るような題でお話致します。 キリスト教には私たちの教会…

悟りの目が開く

リヨン美術館で(11) 右端クリックで拡大 ・ 悟りの目が開く (4) ルカ24章28-35節 (3) 「すると、2人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった」とありました。考えさせられる面白い場面です。「見えなくなった」とあるの…

孤食の食卓に来られるキリスト

リヨン美術館で(10) 右端クリックで拡大 ・ 悟りの目が開く (3) ルカ24章28-35節 (2) さて民宿に泊った彼らが―当時は粋なホテルなんてないほぼ民宿ですよ―、食事の席に着くと、いつの間にか、「イエスがパンを取り、賛美の祈りを唱え、パン…

3つの祈る喜び

リヨン美術館で(9) 右端クリックで拡大 ・ 悟りの目が開く (2) ルカ24章28-35節 (1) さて28節以下には、「一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、『一緒にお泊まりください。そろそろ夕方にな…

夕日が眩しく…

蛇たちを飼う美女。象徴的な彫刻に考えさせられます。リヨン美術館で(8) 右端クリックで拡大 ・ 悟りの目が開く (1) ルカ24章28-35節 (序) 先程は子ども達の祝福式でした。今日はどこかにお出かけの予定だった子たちも急に取り消しになり、全…

オシッコが運命を決したのです

リヨン美術館(7) 右端クリックで拡大 ・ 暗澹(あんたん)たる2人 (4) ルカ24章13―28節 (前回から続く) テゼ共同体のブラザーたち自身がその小さな村にイスラム難民さえ受け入れています。 去年受け入れられた10人程の青年の一人は、今、日…

国民の夢は消えた……?

リヨン美術館(6) 右端クリックで拡大 ・ 暗澹(あんたん)たる2人 (3) ルカ24章13―28節 (3) 彼らは、「婦人たちは朝早く墓へ行き、…天使たちが、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。それで、仲間の者が墓へ行って見ましたが、…

一番肝心なものをやり過ごしました

リヨン美術館(5) 右端クリックで拡大 ・ 暗澹(あんたん)たる2人 (2) ルカ24章13―28節 (2) するとクレオパたちはムキになって長々としゃべり始めました。まるで演説です。「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いに…

底の浅い人じゃあない

リヨン美術館(4)天使に偽装したメドーサの退治? 右端クリックで拡大 ・ 暗澹(あんたん)たる2人 (1) ルカ24章13―28節 (1) 今日はエマオ途上の2人、イエスがエマオ途上で出会われた、前途に「暗澹たる思いを抱く2人」の弟子に焦点を当て…

一言で心がつながる

リヨン美術館で(3) 右端クリックで拡大 ・ 心を一つにしよう (下) Ⅰコリント1章10‐17節 (3) 彼は、自分はコリントの町に洗礼を授けるために来たのではない。主(おも)に、キリストの十字架を、福音を宣べ伝えるために来たのだと言います。なぜ…