「東方の博士たち」 (下) マタイ2章1-12節


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 博士たちは、王から、星の現われた時期などを聞かれたとき、正直に答えました。またベツレヘムに送り出された時も、用心し過ぎて、王の言葉を警戒して出かけなかったのでなく、素直にすぐ出かけました。

 すると、東方の星が先立って進み、遂に幼子のいる場所の上に留まったので、「学者たちは、その星を見て喜びにあふれた」のです。彼らの素直さ、正直さに驚きます。まるで子どものようです。ここには、「蛇のように聡(さと)く、鳩のように素直な」人間の姿があります。聡さを軽視してはなりません。賢明に用心もしなければ宝物を持ってここまで来ることはできなかったでしょう。

 それで、彼らはキリストへと導かれました。神は、イエスを殺そうと企む王をも逆に用いられたのです。

 この「喜びにあふれた」という言葉は、前の訳では、単に喜びにあふれたでなく、「非常な喜びにあふれた」となっていました。私は、その方が原文に近いし、いい訳だと思います。

 なぜ、それが喜びであり感謝であったのでしょう。

 6節の引用は旧約聖書ミカ書5章1節からですが、元も言葉を変えて引用したものです。元のミカ書では、ベツレヘムは「ユダの氏族の中で最も小さいもの」となっています。

 博士たちは、ユダの氏族の一番小さい、取るに足りないベツレヘムの村に、救い主、メシア、偉大な王を発見したからです。御殿でなく、このような所に生まれた方なら、誰しもが親しく拝めると思ったからでしょう。

 また、これは常識を越えた出来事であったからでしょう。彼らも、「ユダヤ人の王として生まれた方は」、当然エルサレムの王家にお生まれになると思ったのに、予想とはまったく違って、低い所にお生まれであった。これは神の業としか言えなかったからでしょう。人の推測を越えた神の業に、今、自分たちは触れているという喜びです。これは科学者がある事実を発見した時の喜びに通じます。

 彼らは当時の最高の知識人です。また常識家でもあります。だが、常識を覆す、神の恵みに接したのです。そして、都でなく貧しい村。都会でなく地方。華やかな場所でなく、沈んだ村で救い主にお会いできた喜びです。

 ある人は、彼らは、「最高の学術とその知識の実りが、どこに向かうべきか。エルサレムの豊かな物質的栄華に向かうべきか、学者たちは、この星の導きの結果において、はっきりと啓示された」(関田寛雄)と書いていいます。

 私もそう思います。今日の社会において、知識人の責任は大きなものがあります。かつてフランスの哲学者のサルトルが日本に来たとき、知識人の役割について鋭い洞察を加えました。知識人は権力に奉仕せず、真理に奉仕するという大きな責任を、社会に対して持っているのです。博士たちはそれをしたのです。冒険を冒してやって来、身銭を切ってそれをしました。

 しかし、知識人だけでなく、権力を持つ者に媚びない人々、権力を恐れない人々、富に隷属しない人々。サタンの誘惑を退ける人々が生まれることが、いつの時代も極めて重要です。良心的な人たちがどれだけ増えるか、それが国家を作る一番大事な哲学ではないでしょうか。今、そういう地味なことを政治家は目指しているでしょうか。経済の事だけ、そして党利党略ではないでしょうか。キリストはそういう良心的な人たちを育てます、そういう地道な所から世に光をもたらします。

 学問も科学も、この世の王も、いや、私たち人類と世界は何に向かうべきか、です。人生の目標とその方向性は、どこに向かうべきか。そして、何に仕えるべきか。そのことを彼らは知って、「大きな喜びにあふれた」のでしょう。

 ある讃美歌か何かに、「かくも低き所に、神のお子がおいで下さったとは、何とめでたき知らせじゃ」とありました。このような所にメシアが来ておられるのである、ということの新しい発見。それが彼らを非常な喜びにあふれさせたのです。

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 さて、彼らが家に入ると、幼子は母マリアと共におられたので、「彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開け、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた」とあります。

 最高の知識人であり、東方の王たちが、まことの王の前にひれ伏したのです。知識や評論だけでなく、言葉と行為をもってひれ伏すことが大事です。身銭を切るとはそういうことです。

 貧しい身なりの母と、ボロにくるまれた幼子が、冷たく湿った馬小屋にいる。幼子は、御殿の奥座敷で温かい布に包まれてではなく、チクチクと麦わらが肌を刺す飼葉桶に寝かされている。だが、彼らはそこに世界の救い主を発見し、その方にふさわしいもてなし方をしました。

 持ち来たった宝物。しかしそれは物でなく、彼ら自身です。自分を救い主の前に献げたのです。先ほどの言葉で言えば、「最高の学術とその知識の実りが、真に向かうべきもの」に向かったのです。その時、再び彼らは非常な喜びにあふれたことでしょう。自分たちは、今、真理へとやって来た、まさに真理に的中したことへと導かれた、という喜びです。まさに人類がまことに拝すべきお方に、礼拝をお献げすることを許されたという喜び、感謝です。

 それは、私たちの礼拝の喜びに通じるものです。私たちは、まことの命の主に心と存在を明け渡し、単純にそのお方を拝して行く。その時、これで良かったのだという静かで、確かな喜びを手にします。東方の博士たちはそれを手にしたのです。これが世界で初めのクリスマスになったのです。

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 そしてその後、彼らは、「ヘロデの所に帰るな」と夢でお告げを受けたので、「別の道を通って国へ帰って行った」というのです。

 まことの救い主を拝した彼らは、もはや権力を恐れません。権力から自由になって、神のみ使いの言葉に従いました。

 神によるまことの自由。真理と出合った自由の喜び。ささげる喜び。クリスマスのメッセージは、このことを私たちに告げます。

 私たちの教会に、以前、横山学という先生がおられました。今は、ご実家がある秋田の田舎で伝道をしておられます。秋田は、日本で一番自殺が多い所です。先生は、人々が悩んでいる、過疎の、困難な地域に行って、自殺者が一人でも少なくなるように、先生の持たれる創造性豊かな賜物を出して取り組みながら、主を拝しておられるのです。何と素晴らしいことでしょうか。たとえ小さな業であっても、その方向性は確かであり、素晴らしいものです。

 「私の兄弟である、この最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことである。」恐らく先生は、そこでキリストに出会っておられるでしょう。

 そういう悩める所が、今日のベツレヘムかも知れません。私たちは悩めるところから逃げてはなりません。避けてはなりません。そこにクリスマスの星が留まっていないかを考え、そこに幼子イエスがボロに包まっておられないかどうかを、良く考えるべきです。

 2007年12月23日
                             板橋大山教会   上垣 勝

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  (今日の写真は、前回に続きウンターリンデン美術館にある受胎告知と博士たちの来訪のレリーフ。今日の場面です。)