2008-03-01から1ヶ月間の記事一覧

富に仕えない喜び (上)  マタイ6章24節

(序) 今日の聖書の箇所は、5章から7章までの山上の説教(垂訓)の一部です。山上の説教は、ご存知のように「心の貧しい人々は、幸いである」など、「幸いである」という言葉で始まります。 私はこの「幸いである」という言葉は、山上の説教全体を貫いて…

復活の光の中で (下)  ルカ24章36-53節

(前回からつづく) (2) 私たちにとって、愛する者との別れは、何を意味するでしょうか。イエス・キリスト抜きで考えた場合、それは2度と戻らない喪失です。他の者と交換できない、掛けがえのない者の喪失です。それは悲しみ以外のものではありません。…

復活の光の中で (上)  ルカ24章36-53節

(序) 今年は大変早いイースターを迎えました。イースターの日は春分の日と月の満ち欠けで毎年変わりますが、3月22日より早くなることはありません。これまで3月22日にイースターを迎えたのは、1761年と1818年の2回だけで、次に3月22日に…

主がお入り用なのです (下)   マルコ11章1-11節

(前回からつづく) (3) 「まだ誰も乗せたことのない子ロバ」を、「主がお入用なのです」と言って連れて来させられました。経験もなく、力も大人のロバのようではありません。イエスは、よくもまあ、そんなロバの子を用いられたと思います。 しかし、子ロ…

主がお入り用なのです (上)  マルコ11章1-11節

(1) 今日は教会の暦で「棕櫚(しゅろ)の主日」と言って、イエス様のエルサレム入場を覚える日です。今日からの一週間は受難週といいます。 この木曜日の夜、エルサレムのある家の2階で「最後の晩餐」がなされ、その後弟子たちとゲッセマネの園に出かけ…

自然の呻きに連帯しよう (下)  ローマ8:18-30

(前回からつづく) 産みの苦しみは、喜びの徴、力強い希望への入口だったのです。 今や、人間は地球環境を変え、人間をも造り変えんばかりの鼻息で進んでいます。だが聖書は、「なぜ国々は騒ぎ立ち、人は空しく声を上げるのか。『われらは枷を外し、縄を切…

自然の呻きに連帯しよう (上)  ローマ8:18-30

(1) 今日の聖書箇所に、被造物の呻き、前の訳では被造物全体の呻きとなっていましたが、そういう生きとし生けるもの全体の呻きと、私たちキリスト者の呻き、そして神の霊の呻き・聖霊の呻きという3つの呻きが一パックになって出てきます。 世界には呻き…

的外れの38年間 (下)  ヨハネ5章1-18節

(前回からつづく) ベトザタには大勢の病人が横たわっていましたが、イエスは一人の人に眼を向けられました。悩みを持つ人は多くいます。しかし、イエスは一人との出会いを大事にされるのです。 私たちはあせる必要はありません。1から10に一挙に飛び越え…

的外れの38年間 (上)  ヨハネ5章1-18節

(1) 今日は、「的外れの38年間」という題ですが、私は誰も責めるつもりはありません。あなたは的外れな生き方をしていると言おうとしていません。安心して、聖書に耳を傾けてください。 今日の箇所も、イエス様が安息日に病人を癒された出来事です。安息…