2009-06-01から1ヶ月間の記事一覧

突きぬけた喜び (下)

マタイ6章1-4節 (2) イエス様は今日の所で、面白い言い方をされました。「施しをする時は、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」右手が行なうことを、無論左手は知っていますよ。違います?もし、左右の手の連絡がうまく取れていないな…

突きぬけた喜び (上)

マタイ6章1-4節 (1) 今日の所に、「偽善者」という言葉が出てきました。「施しをする時には、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない」と、イエスは言われました。 偽善者というのは、偽り…

板橋  明日の礼拝

09年6月28日(日) 朝10時45分-12時頃 聖 書 マタイによる福音書6章1-4節 説 教 「 突きぬけた喜び 」 牧師 上垣 勝 会 場 板橋区氷川町47-3 板橋大山教会 駐 車 場 日曜日は、何台も止めれる無料駐車場があります。 ・神様のことを知り…

不安の深淵を埋めるもの (下)

フィリピ2章17-18節 (4) 誤解がないようにお願いしたいのですが、パウロは殉教を勧めたり、美化しているのではありません。美談にしているのではありません。また、私はそういうことを述べようとしているのではありません。 そうでなくて、ここが大…

不安の深淵を埋めるもの (上)

フィリピ2章17-18節 (1) 前回ご一緒に学びましたが、2章12節からは、キリスト者は、また人間は世にあってどのように生きるべきかが書かれていました。それは、「神の子として、世にあって星のように輝」いて生きることと言っていいでしょう。心配…

しかり、アーメン (下)

第Ⅱコリント1章18-20節 (3) 無論このような「然り」を私たち人間が語るのは極めて難しいことです。不可能だと思う人もあるでしょう。しかし、人間はこのような肯定が必要です。根本的な所から私たちを支持し、受け入れ、肯定してくれる人を欲してい…

しかり、アーメン (上)

第Ⅱコリント1章18-20節 (1) 今日の聖書はちょっと分かりにくい箇所です。「然(しか)り、然り」とか「否、否」とか、私たちは普段余りこんな言い方をしません。それで、今日のところを読むと、何を言っているのかと戸惑うわけです。 しかし、日本で…

キリストを生きる (下)

ガラテヤ5章22-26節 (3) パウロはここで、個人倫理を書いているのでしょうか。或いは、内面的な、精神的な心構えを記しているのでしょうか。私はそれだけだとは思いません。 先週、アメリカのオバマ大統領がエジプトのカイロ大学で講演をしました。…

キリストを生きる (上)

ガラテヤ5章22-26節 (1) 今日の所に、「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」とありました。私はここを読むたびに、いつも心が穏やかに、平和にされます。これらは私が向かうべき方向だと思いますし、そこ…

聖霊の神 (下)

ヨハネ16章5-15節 (3) 今日はこの後、墓前礼拝に出かけますから、もう一つだけ簡単に触れて説教を終りますが、8節以下に、「その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。云々…」とあります。真理の霊で…