2008-08-01から1ヶ月間の記事一覧

夜明けのキリスト (下)

ヨハネ20章11-18節 (3) そのことを暗示するのが、「私にすがりつくのは、よしなさい」というイエスの言葉です。マリアのこれまでのあり方は、一種のすがりつく生き方です。彼女の愛はまだ人間的な愛です。15節に、「婦人よ」とあります。イエス…

夜明けのキリスト (上)

ヨハネ20章11-18節 (1) イエスの復活を誰も見た者はありません。あったのは空の墓だけです。では、イエスの復活は何によって分かるのでしょうか。それは、ただ復活のイエスと出会った人たちによってだけ、何よりも彼らの中に起った明らかな変化に…

放蕩息子と父 (下)

ルカ15章11-32節 (3) 幾つかの荷を比較して、これは軽い、向うは重いとキリストは言われるのではありません。キリストの荷はそんなものではありません。 私たちは荷を負う時、負うことで救いを見出すように担わなければなりません。荷を負いながら…

放蕩息子と父 (上)

ルカ15章11-32節 (序) 今日の「放蕩息子の譬え」の長い箇所を、Aさんは上手にお読みくださいました。中途失明者のAさんにとって、点字聖書を皆の前で読むのは大変ヒヤヒヤものだろうと思います。先ほど妻が、Aさんに、今日は聖書を何回読んでこられ…

地の塩、世の光 (下)

マタイ5章13-16節 (2) 後になって、聖書にもうひとつの都市が登場します。それは平和を意味するエルサレムです。暫く前にエルサレムについてはお話しました。これは、人間が強大になることによって築いた町でなく、神の約束によって築かれた町です…

地の塩、世の光 (上)

マタイ5章13-16節 (序) イエスは、「あなた方は地の塩である。あなた方は世の光である」と語られました。「地」とは現実社会を指します。「世」とは私たちを取り囲む世界を指します。今日は先ず、私たちを取り囲む現実社会や世界について、聖書はど…

神のヘセドとは (下)

マタイ5章3-12節 (3) しかし、旧約聖書には「憐れみ」を表わす「ラカミン」という言葉もあります。ラカミンは情愛をこめられた憐れみです。元は腸(はらわた)を意味しました。またお母さんの胎、母体を意味しました。従って、「ラカミン」の憐れみ…

神のヘセドとは

マタイ5章3-12節 (1) 今お読みいただいた聖書は、数え方で違うのですが八福の教えといいます。この八福の教えは、一つ一つそれぞれは、新鮮な水が絶えず流れ出ている泉のようなところがあります。8つの泉です。今日はその一本の泉、7節の「憐れみ…