どう生きる―永眠者を覚えて―(上)  ヨハネ3章1-8節



                                 (序)
 今日は永眠者を記念する礼拝です。ご遺族の皆様も出席しておられます。

 私たちの教会は、19年前、荒川の町屋に伝道所を生み出しました。そのため両教会の連帯性を大事にして、町屋に移って召された18人の方と、この教会で召された25人の方の信仰の足跡を覚えて礼拝をしています。また、武蔵野霊園にある教会墓地は両教会が仲良く共同墓地として建てています。教会は違っても同じ主につながる兄弟姉妹であることを、この連帯の中で確認しているわけです。

 若くして召された方もありますし、ご高齢で召された方、事故で亡くなられた方など。一人ひとりは色々な人生を過されましたが、キリストの憐れみによって救いに与り天国に移された人たちです。私たちはこれらの信仰の先達をもったことを感謝し、その何十年かの人生を大切に思い、私たちも信仰の馳せ場をしっかりと生きたいと思います。

                                 (1)
 この世に誕生するとはどういうことでしょう。それは生命を授けられるときであると共に、神様によって人生へと招かれる時、人生に召され、人生を生きるようにと召命を受ける時です。そのことは生まれてくる本人は少しも気づいていません。残念なことに一生気づかず死んでいく人たちもいます。

 それから、世に誕生するということは、誰しももう一人の人間によってのみ世へと連れ出されます。タレントの向井亜紀さんの子どもをめぐる裁判は、今日は詳しく触れませんがこの問題に関係しています。今私たちが生きているのは、私を期待しつつある人を通してこの世へと出て来ました。この事実は、例外なく何れの人にも当てはまります。

 神様は、私たちを人生へと招かれる時、2人の遺伝子を使い、一人の人間を通して世へと連れ出される。そこに生命の神秘と尊厳があります。試験管ベビーと言っても、人間は決して孵卵器のような所で誕生させることはできません。どんなに科学が進化しても母の母体を通さなければそれは不可能でしょう。

                                 (2)
 今日の聖書に、ニコデモというファリサイ派に属する議員が、ある夜、イエス様を訪ねたと書かれていました。議員とはユダヤの最高議会サンヒドリンの議員のことで、日本で言うなら国会議員のようなものです。

 夜、ひそかにしか訪ねられない事情がありました。彼はファリサイ派の指導者です。そんな人がイエスに相談に行ったとなると具合が悪かったからです。

 彼は、「年を取った者が、どうして新しく生まれることができるでしょうか」と言ったとあります。彼は長年のユダヤ教徒の指導者ですが、「新しくなりたいが新しくなれない」、「新しく生まれることができない」という内面的な葛藤と渇きを持っていたのでしょう。そのことをどうにかして解決したいという切なる思いを持って、こっそりとイエスを訪ねたのです。彼は人間として真面目な人だったに違いありません。

 するとイエスは、「誰でも、水と霊とによって生まれなければ神の国に入ることはできない。肉から生まれた者は肉である。霊から生まれた者は霊である」と言われ、続けて、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆その通りである」と語られました。イエスは誰に対しても、真実に対していかれます。

 「肉によって生まれる」ということは、母の身体から分離されることを意味します。そして独立して、自立した別個の固体になるということです。そのことは、自分自身の顔を持つことを意味しますし、他の人と顔と顔とを合わせて人格関係を結べるようになるということです。

 大人になっても親から自立できず、母から分離できない人が今日では多くいます。今は少子化時代のために母親も子離れしにくい時代です。また、他の人と顔と顔とを合わせて人格関係を結べない人もあるでしょう。それらは、生まれたときにそうであったのでなく、後天的にそうなってしまったのです。

                                 (3)
 さて、生を享け、自分の顔を持ち、他の人と向き合える人間になるわけですが、人生はそれだけで完結したわけではありません。ニコデモが夜こっそりと訪ねたのは、そのことに関係しています。

 「肉から生まれた者は肉である。」動物ならそこで終わればいいですが、人はそれでは完結しません。

 しばらく休暇を与えられてテゼにゆっくり滞在し、その後パリに向かいながら幾つかのキリスト教施設やキリスト教の史跡、そして教会を訪ねて来ました。皆さんがこういう休暇をお許し下さって、しかも不在の間、バザーのあと片づけや教会の部屋すべてでバルサンを焚き掃除をすっかり済まし、礼拝と祈祷会もしっかり守ってくださいました。そういう篤い信仰を持つ皆さんのところに戻って来ることができて嬉しく思います。

 テゼでは、聖書の大変刺激的な講義を200人ほどの人と毎日受け、その後の小グループでは6人の人たちと毎日楽しく語らい、しかし時々非常に深い話になる交わりを持つことができました。

 テゼを後にして、乗り合いバスに揺られてシャロン・スル・ソーヌという比較的大きな町まで、ゆるやかな丘を登ったり下ったり、点在する村々にバスが寄ったりしながら、フランスの田舎ののんびりした紅葉した景色を満喫しながら旅しました。そしてボーヌという町に電車で行って、オテル・デューというキリスト教の病院と老人ホームを訪ねました。

 この病院は素晴らしいデザインで有名で一見の価値があると思って行ったのですが、教会よりも高く聳える建物でした。行って見て驚いたのは、病院は1443年に創られ、何と近年まで約550年間実際に病院として使われていたのです。今は、近代的な設備をもった新しい病院を郊外に建ててオテル・デューの医療活動はそこで行い、老人ホームと550年余の建物は当時の医療施設を再現してしばらく前から見学者に公開しています。(老人ホームは無断で入ることができません。)

 日本で言えば足利時代に創られた病院です。それが近年まで使われていたのですから本当にびっくりしました。日本では絶対不可能です。それがボーヌと言う町に実在するのです。

 しかもその病院の原点は、「貧しき者」のための病院、後には「貧しき者のための宮殿」とも呼ばれるようになった病院で、信仰の一粒の種がこの大きな病院を創り出したのです。入院患者がベッドに横たわりながら礼拝ができるように、チャペルが大きな病棟内にありました。私はその病院で、しばしボー然として、信仰の力、巨大な現実的な力になるその力に圧倒されました。

 私たち一人ひとりの中に、そういう巨大な力を生む信仰の一粒の種がキリストによって播かれているとも思いました。だからと言って、私たちが無理をし、背伸びをして大きなことをする必要はありませんが、信仰の種はそういう巨大なエネルギーを秘めているということに無知であってはならないと思いました。

 500年以上も続いてきた病院。それは人の業ではありません。神の業です。

 「肉から生まれたものは肉」です。信仰から生まれ、信仰によって現実に支えられて来なかったら、必ずいつかは内部紛争とか相続争いとかで解体してしまったでしょう。

 ニコデモは、ユダヤ教の指導者としてユダヤ教の中で生きながら、その宗教の限界を感じていたのでしょう。

 ( 続きます )

  2007年11月11日
                               板橋大山教会   上垣 勝

  ホームページはこちらです:http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  (今日の写真は、オテル・デュー。内部の右側はベッド、奥がチャペル。入り口に創建の年代が残っていました。)