人生の徹底的な肯定


                 今週、アドベントが始まりました。リヨン美術館で(17)   右端クリックで拡大
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                                                全世界に伝えられる福音 (中)
                                                ルカ24章44-53節


                              (1)
  長い前置きになりましたが、今日の所に、「イエスは言われた。『わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである』」とありました。

  「モーセの律法と預言者の書と詩編にある事柄」とは、旧約聖書のことです。私について旧約聖書が語る事は全て必ず成就する。成就する運命にある。それは偶然のことでなく、神の必然であり、後の日には必ず実現する。ここではそういう語が使われています。歴史の初めからの神の意図であり、決意、意志であり、あらゆる時間と歴史を越えた神の意志であるという意味です。

  後の日に必ず実現するから、先に申しましたように後の日を笑うことが出来るのです。神の国から射している光がある。それを知るから、今の苦難も笑い飛ばすことが出来るのです。それが信仰です。

  次にイエスは、「これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである」と言われました。

  これは、復活のイエスが今語る事と、生前のイエスが約束していた事は同じである。地上のイエスと復活のイエスのメッセージの同一性、また人格の同一を言いたいのでしょう。

  そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、 あなたがたはこれらのことの証人となる。わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

  復活のイエスを肉の目で見ることは出来ないように、聖書も肉の目で読み解くことは出来ません。聖霊によって霊の目が開かれてこそ、福音が語る真意を悟ることが出来ます。メシアであるキリストの受難と死また復活は信仰の目で見る時に悟ることが出来ます。だからイエスは、彼らの心の目を開いて言われたのです。

  イエスは十字架に付けられ、3日目に復活するとありますが、旧約で語られた事は、十字架において実現するのです。神の計画は十字架にあります。世界の中にあって、イエスの十字架こそが人類に対するそして私たち一人一人に対する、「神の愛が目に見える場所」です。ただ1回限り神の愛が見える場所が十字架です。ただ真意は心の目が開かれなければなりません。

  ところで、「メシアは苦しみを受け」とありました。メシア・キリストが苦しみを受けるとは、他者の為、全人類の為です。ご自分の為ではありません。私たちの救いの為に苦しみ、不当な仕打ちを受け、痛まれました。メシアが救い主であるゆえんは、自分の為にあるのでなく、他者の為にあった所にあります。もしご自分の救いの為や、悟りの境地を開く類いのものなら、イエスの存在意義は極めて低いものでしょう。

  難しい言い方をしますと、「イエスという方は、このお方の言葉と行為、考え、存在において、人類に向けられた神の恵みへの感謝と肯定が起こる所の人間です」(K.バルト)。要するに、イエスという方を知るなら、神の恵みを知ることができ、人間と人生の肯定が生まれるのです。誰にでもです。

  なぜなら、イエスはあのような極限の苦難を舐められたが、神の恵みを感謝し、その生涯を肯定し、神を賛美された極限のお方であるからです。

  詩編116篇に、「命あるものの地にある限り、わたしは主の御前に歩み続けよう。 わたしは信じる、『激しい苦しみに襲われている』と言うときも 、不安がつのり、人は必ず欺く、と思うときも」とあります。これはイエスの為に取って置かれた言葉だとさえ言えます。

  こんな極限の苦しみ不安、人に欺かれる時にも、神のみ前に歩み続け、人生を肯定して行かれた。それがイエスです。

  この間の新聞を見ていささかショックを受けました。ダウン症の人の90%以上が毎日を幸せに思っているというのです。アメリカでは99%の人がそうです。だが、胎児の染色体異常を調べる出生前診断で、異常と診断された94%が中絶したそうです。これは何を意味するのかと深く考えさせられます。しかも日本人の幸福感は世界157カ国中53位です。政府の社会も私たちももう一度深く考えなければなりません。

  ダウン症の人たちが生まれたこと、今あることが幸福だと90%も、99%も強く意識しているのですから、何かを予言するような調査だと思います。

  神は本来、私たちを良く造られたのです。聖書はそう述べています。神の恵みは私たちに満ちており、世界は神への感謝と肯定が起こる所として本来造っておられるということではないでしょうか。ダウン症の調査は、神の良きご支配を示唆しているかも知れません。

  神を信頼するなら、いかなる条件の下、いかなる状況の下で生まれても、人間が作りだす戦争や紛争がなければ、そこには必ず神の「ヨシ」がある。幸福が備えられている。神の恵みが待っているということでしょう。人間への徹底的な肯定です。

  むろんイエスは人間世界の矛盾から目をそらされません。人類が作り出す矛盾をご覧になるし、そこにある呪い、苦しみをご存知だし、ご自身それらを極限まで経験し忍ばれました。しかし最後に勝利されるのです。

  神はノアに、動物をつがいで箱舟に入れるように命じられました。その時、清い動物たちは7つがいずつ、清くない動物たちは1つがいずつ乗せるようにお命じになったとあります。7対1です。1対7でも、4対4でもない。世界は清いものの優勢にある。決して汚れたものや悪が勝利しないようにされ、しかし同時に清くないものもある程度生かしておられる。神の摂理は人間の思いを越えてあり、世界は神の恵みで守られているのです。こういう世界の中で私たちは生きているわけで本当に感謝であります。

         (つづく)
 
                                            2016年11月27日



                                            板橋大山教会 上垣 勝




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