夕日が眩しく…


        蛇たちを飼う美女。象徴的な彫刻に考えさせられます。リヨン美術館で(8)   右端クリックで拡大
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                                                  悟りの目が開く (1)
                                                  ルカ24章28-35節


                              (序)
  先程は子ども達の祝福式でした。今日はどこかにお出かけの予定だった子たちも急に取り消しになり、全員祝福式にこれたのです。本当によかったです。彼らが自分で植えた球根です。きっと大事に育てるでしょう。4才の子もあの重い植木鉢を自分が持って帰ると離さなかったですね。子ども達は素晴らしいですね。

  さて今日は先週の続きです。エマオの村に下る2人の弟子たちは、途中から加わり一緒に黙って歩いている方が復活のイエスだと分からなかったとありました。

  ある人がこの事で面白いことを言っています。エマオはエルサレムの西方にあります。時刻は丁度陽が傾く頃で、彼らは夕日が真っ赤に落ちる西に向かって歩いていたので、余りに眩(まぶ)しくてイエスのお顔が良く見えなかったのだろう言うのです。確かに逆光だと眩しくてよく分からないでしょう。色々の見方があると感心しました。

  ただ、聖書がここで語りたいのは、イエスが十字架で殺され、前途に希望を失い暗澹たる気持ちになっていた2人です。私たちがキリストを見失って信仰が消えそうになり暗澹たる気持ちになっている時には、イエスが一緒におられてもそれが分からなくなるということです。不信仰が起こると、キリストが傍におられても丸きりキリストだと悟ることができないという事です。

  だがそんな2人に対しても諦めず、イエスは聖書全体に渡り、ご自分について書かれている事を説明されたのです。信仰の目が開かれるように、熱心に説明されたのです。それで今日の個所のクライマックスになって、あの時、あの方の話を聞いている時、「心が燃えていたではないか」と述懐することになったのです。

           (つづく)

                                       2016年11月13日



                                            板橋大山教会 上垣 勝




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