オシッコが運命を決したのです


                         リヨン美術館(7)          右端クリックで拡大
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                                                暗澹(あんたん)たる2人 (4)
                                                ルカ24章13―28節


   (前回から続く)
  テゼ共同体のブラザーたち自身がその小さな村にイスラム難民さえ受け入れています。

  去年受け入れられた10人程の青年の一人は、今、日本が盛んに自衛隊の駆け付け支援をしようと画策しているスーダンダルフールから来たアーメド君という難民です。

  11才の時、政府軍にダルフール近郊の彼の村が攻撃され、家族がバラバラになって逃げました。彼はカルトゥムという町の難民キャンプに辿り着き、やがて運よく大学に入って法律を学びます。しかしダルフール出身者への民族差別が酷く、迫害され投獄され拷問を受けます。やがて地中海に面したリビアに逃れ、仕事に就きますが賃金が支払われないばかりか暴力を受けます。それで平和と平等、安全を求めて、ヨーロッパに行く決心をして、小さなボートを手に入れて地中海を渡ろうとしたのです。対岸のイタリアまで約500キロをオールを漕いで行くというのです。そんな無茶な事ができる筈がありません。幸い赤十字救助隊に助けられイタリアに着くが、イタリアの不況も酷いです。そこでも酷使されて平和も安全も得られません。フランスの方がいいと聞いて保養地で有名なニースに行きますが、路上は大変寒く警察に行って事情を話したら、拘置所で眠るように言われます。だがそこも宿泊施設ではないので出されてパリに行きます。それだけでもイタリアから2千キロ程を徒歩で歩いて来たのです。パリでは3日間列車の鉄橋の下で過しますが、遂に病気になり、カレーの難民キャンプに行けばどうにかなると言われてカレーに行く訳です。パリからだけでも300キロあります。病気しながら孤独な人生の辛さをしみじみ味わったでしょう。

  やがてカレーで援助団体に出会い、もしカレー以外のフランスの地域に行きたいならバスに乗りなさいと言われて乗車しました。乗ってから約11時間あちこち回ったのでしょう。やがて深い霧に煙る小さな村に着きました。だが誰も降りようとしません。だって、こんな田舎の寒村に下ろされて、捨て猫か捨て犬のように捨てられたらたまったものでありません。

  しかしアーメド君はずっとオシッコを我慢して来たので、もう我慢できなくてバスから降りました。そして急いでバスに帰ろうとしたら、バスが発車したのです。酷(むご)いです。悔しかったでしょう。そこは名前も聞いたことがないテゼという村でした。

  ところが村長や村人たち、そして何よりもテゼ共同体のブラザーたちや救援団体の代表らから、降りた10人程が歓迎を受けます。こうして去年、オシッコが運命を決して人生の新しいスタートを切ったのです。

  その後は、毎日が新しい発見だったと言います。人々が訪ねて来ますが、フランス語が出来ないので何も分かりません。ところが多くのボランティアがフランス語を教えに来てくれ、カレーから来た青年たちは全員イスラム教徒なのに、キリスト教のブラザーたちや村人たちから歓迎され、イスラムの祈りの部屋さえ貰って大事にされるのです。まるで天使たちを迎えたアブラハムのようなもてなしです。オリンピックで大勢のお客さんをもてなす。沢山の観光客に来てもらいたい。そこからのもてなしの発想です。それは大抵、お金のためです。だがここではお金を越えたもてなしです。同じ惑星に暮らす者たちの心を込めた熱い隣人愛です。もてなしとは本来そういうものです。人からお金を巻き上げようなんて、土台もてなしではありません。

  やがてテゼのブラザーたちは世界からやって来る青年たちとどんな風に祈っているのかを見に行ったり、ブラザーたちがイスラムの祈りに参加してくれたりするようになり、ブラザーたちが信頼できる兄貴のような存在になったんですね。村人たちも自分の母や叔父さんのような存在になって、今では大家族の中にいるかのようになっているというのです。

  アーメド君はこの夏前に難民に認定され、夏の3カ月間は農業組合で働き、少しお金が出来たので再び勉強を始めたそうです。しかも、テゼには世界中から意識のある青年たちが来ますから、彼らと友達になり、スーダンにいた時とは全く違った世界に導き入れられたのです。

  この小さなテゼ村には、イラクから逃れて来た若い一家もいます。今、奪還しようと報道されているモスル近くのニネベ平原にある村の出身で、ニネベといえば預言者ヨナを思い出しますが、彼らはイラクのシリア正教(ギリシャ正教の系列)のキリスト教徒です。

  日本でもこのような事が出来るとか、すべきだとか言うのではありません。だが、キリストの体なる教会は、私たちの先入観や自分の狭い教会観を越えています。もっと大きく世界を包む、あるいはアウグスチヌスが言うように私たち中心の価値観が砕かれて、キリストの価値観、キリストの体としての教会、世界の人たち全てを包む福音に目を向けて生きて行く必要があると思います。

  イエスはこの後、更に先に進もうとされる様子だったとありました。2人だけでなく、更に先に進んで、他の人たちにもご自分を明らかにし、明日に向かって歴史の中を進み行こうとされたのです。その延長線上に今日の私たちがいると言ってよいでしょう。

         (完)

                                            2016年11月6日



                                            板橋大山教会 上垣 勝




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