亀の家の家庭訪問


                        大聖堂から見下ろすベルンの甍(1) 
 

 
                                     主の復活と女性たち (中)
                                     ルカ福音書24章1-12節

  
                              (2)
  戸惑う女性たちに告げられたのは、どうして、「生きておられる方を墓に捜しに来たのか」という言葉でした。そんなことを言われても誰しも戸惑いますが、なぜイエスの言葉を疑ったのか、復活を信じなかったのか、空の墓を見なさい、と言われたのです。そして、イエスガリラヤで、「必ず罪人たちの手に渡され、十字架につけられるが、3日目に復活することになっている、と言われたではないか」と言われたのです。

  私たちは毎年、イースターにイエスの復活の箇所を読みます。牧師はそこから話さなければなりませんが、私はとても戸惑います。復活の場面にはイエス・キリストがおられないからです。いるのは2人のみ使いと、女性たちであり、イエスがくるまれていた白い亜麻布と、空の墓があるだけです。復活の最初の場面には、イエスはどこにもなく、イエスの言葉も聞こえません。

  ですから、私は毎年、イースターには真空地帯に入ったような、頭が真っ白になるような気がします。ひと言も言葉を発することが出来ないもどかしさを覚えるのが、空の墓の場面です。

  皆さんはいかがでしょう。私は毎年、復活の場面を読んで語るべき言葉を失うのです。今年もそうでした。それで中々説教が仕上がらない。苦しみました。

  しかし、この空の墓の場面で耳をしばらく澄ましていると、復活のイエスはどこにもいませんが、復活のイエスを指し示す太い指、復活のイエスを指し示す喜ばしい断言的な声に接することを発見しました。それは今日の箇所の中心です。

  「なぜ、生きている方を死者の中に捜すのか。復活なさったのだ。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、3日目に復活することになっている。」ここにある「必ず」とか、「ことになっている」とは、神的必然を告げる言葉です。必ず成就する。どんなことが起り、誰が阻んでも、どんな人間が一致団結して阻止しても実現していく。神の勝利は、何者も阻むことはできないということです。

  英語のObedience(オビージェンス)という言葉は、服従、聞き従うことの意味です。これはラテン語から由来して、語源は「注意して聴くこと」を意味します。素直に聴き従う子どもはドンドン成長します。むろん反抗も大事で、特に反抗期にしっかり反抗できることは大切です。だが、注意して耳を澄まして聴くなら神の愛のメッセージは聞こえるのです。でもそうでないと、使徒たちであっても、たわごとに思えますし、信じることができません。だが、暫く留まって注意深く耳傾けるなら神の声が聞こえ始めるのです。

  聖書に、「私の目にはあなたは高価で尊い」という言葉があります。今から2600年前の実在の預言者イザヤが語った神の言葉です。

  先日、4歳のAちゃんを連れて館山の先の漁村に行って、安い民宿に泊まって来ました。見事なひらめの刺身やカサゴの特別美味しい丸ごとの煮つけ、鯛めしなどを頂いて、久しぶりに田舎の空気を満喫しました。

  あの辺りは昔ながらの里山や自然が豊富で、亀があちこちに住んでいるそうです。で、春には冬眠から醒めて穴から出てくるので、都会の研究者たちは亀の固体調査に来るのだそうです。人間は家のない人もあるのに、亀は偉いもんで、それぞれ自分の住み家(か)を持っているんです。で、研究者たちはその一匹一匹に固有の名前をつけて、春になると亀の家を家庭訪問して生活調査をするのだそうです。ほんとに不思議な時代です。今の時代、亀たちさえ、人間から、「あなたは高価で尊い」と言われているんですね。

  しかし人間は、また不思議ですが、「私の目には、あなたは高価で尊い」という言葉を聞いても、返って強く反発し、否定する人たちがいるのです。自分はそんなんじゃあない、と言うんです。自分に非常に厳しいんです。

  ある冊子を読んでいたら、技術屋として社会で働き、会社勤めをする中で腰を酷く痛め、12年間鍼灸治療院に通われた人のことが出ていました。今日、司会をしてくださったBさん、Bさんの治療院にもこんなに長く通う方がおられるのでしょうか。ああ、そうですか。12年間もというのは珍しい…。

  ところが治療の間の何十分かの間に、治療院の先生や奥さんとお話しをすることがあるわけですが、12年間毎週通う内に、その先生は少年時代に交通事故で失明し光を失ったそうですが、やがて信仰に入ったそうで、治療を受けながら信仰の話しもするようになったそうです。

  治療のためにベッドに横になれば、俎板(まないた)の鯉のようです。四方山話や信仰の話を12年間する中で、やがて「私の目にはあなたは高価で尊い」というイザヤの言葉を聞いたんだそうです。

  しかし、努力に努力を重ねて来た方で、自分に非常に厳しいことから、そんな風に思えない。私も何人かの技術屋を知っていますが、コツコツとした努力家が多いです。それで、最初は「あなたは高価で尊い」と聞いても、そんな甘いことじゃいけないと、反発ばかりだったようですが、色んな話をしたり長く聞くうちに、いつの間にか耳を傾けて聴くようになられたのでしょう。「あなたは高価で尊い」と語って下さる神の言葉が本当にありがたくなり、やがてすっかり受け入れて、心に平和が訪れたという事でした。

  目の前に見えるのは空の墓です。現実社会の中で神が見える人はいません。しかし、見えない中で指し示される言葉に従って耳を澄ます。すると見えて来るものがあり、聞こえて来るものがある。12年間、治療院に通われたこの方はそうだったのです。見えて来た。聞こえて来た。

  今日の空の墓の後、24章36節に、やがて復活のイエスが、ユダヤ人たちを恐れて生きている弟子たちのところに入って来られたと書かれています。その時、弟子たちに語ったイエスの第一声は、「あなたがたに平和があるように」でした。「私の平和をあなたがたに与える」ということでした。治療院に通った方も、12年間通ううちに、腰はどうなったか知りませんが、魂は「キリストの平和」に与って行かれたのです。

        (つづく) 

                                     2010年4月4日  

                        板橋大山教会   上垣 勝

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