イエスの復活と女性たち


                        大聖堂から見下ろすベルンの甍(2) 
 

 
                                        主の復活と女性たち (下)
                                        ルカ福音書24章1-12節

  
                              (3)
  「なぜ、生きている方を死者の中に捜すのか。復活なさったのだ」とは、死者や墓でなく、生きておられる方に目を向けよ。主は復活し、あなた方の只中に生きて働いておられる。そのお方に目を向けよ、ということです。

  言葉を変えて言うなら、今、ここにおられる方を過去の挫折の中に捜すのでなく、今ここに実在され、あなた方の未来に関わっていかれるイエスがおられる。この方に目を向けよ。過ぎた時間の中に空ろに目を向けているが、復活なさったのだ。過去でなく、今、ここにおられるのだ、あなた方の明日におられるのだということです。

  イエスの前に、死は絶対的なものでも、究極的なものでもなくなったのです。イエスは死に打ち勝ち、死の力は相対化されたのです。死のトゲが砕かれ、復活の命が現われたのです。

  死は復活の命に飲み込まれたのです。死の力も、キリストにおける神の愛から、私たちを引き離すことはできません。私たちが主の業に励むのは、そのためです。主に結ばれているなら、その労苦は決して無駄になることはないからです。

  使徒パウロは、あの古代世界に何千キロの伝道旅行を、生涯に3度もしました。驚くべき情熱です。投獄されることは何度も、ユダヤ人からムチ打ちを受けたことも何度も。死ぬような目にあうことも度々、重い石で石打の刑を受けたこと、難船したことも何度か。盗賊の災難に遭い、同胞からの災難、町や荒れ野での災難、海上での災難。しばしば眠らずに過し、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいた事もありました。

  侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉をかけ、世の屑、滓(かす)と言われても神の祝福を語りました。それは、死で終らない命が来たからです。復活の主がおられ、死に打ち勝つ方がおられるから、愛という冒険の道を歩み出せたのです。神は、あらゆる心配事を担って下さるからです。

  先日も申しましたが、牧師館の前に紙切れが落ちていました。走り書きがありました。日蓮宗の方のようでした。「聖人が残虐な死に方をする訳がありません。…」とありました。いや、そうではないんです。自ら進んで残虐な十字架について下さったから私たちは大いに強められ、慰められるのです。そういう方だからパウロは強められました。十字架の上から慰めの光が漏れ来たっているのです。

  しかも、残虐な死に方をなさった方を、神が死の中から甦らせてくださった。そこにパウロの、また私たちの、そして西洋のあの堂々とした社会や文化や街並みを創った力の根源があります。ヨーロッパではイースターがクリスマスより盛大に祝われるのはそこに理由があります。復活がキリスト教的な信仰と希望の根源です。人間に希望の力が与えられなかったら、ああいう文化は築けません。

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  今日の題は「イエスの復活と女性たち」ですが、時間がないので申し訳ありませんが、少しそれに触れて終ります。これほど重要な復活の出来事には男たちは殆ど大事な役割を果たしていないのです。男たちは、イエスの十字架の死の前で、凍りついたように息を凝らし、恐れ、嘆くのみです。だが女性たちは、香料を買ってイエスの墓へと果敢に向かいました。

  イエスの死体に向かってではあったが、大胆に一歩を始めました。すると、「なぜ、生きている方を死者の中に捜すのか。ここにはおられない。復活なさったのだ」という言葉を聞いたのです。

  聖書は、特にルカ福音書は女性たちの働きを重視します。ルカは医者でしたが、なぜか女性たちを重視しています。ルカ1章からしてそうです。彼は、男性と違い女性に特別な役割があると見ています。

  それは霊的なことへの敏感さでしょう。確かに女性たちは、子どもの胎動を体で感じる特別な使命を持っています。自分の体の中に他者の命を感じ取る力であり、神の不思議な業を察する力です。他者なる人間を自分の体の中に感じ取る能力。何と偉大な能力でしょうか。これは男たちがどう頑張っても会得できない力です。ただ敬服するのみです。

  イエスの弟子は男たち12人でしたが、イエスの復活に最初に接したのは女性たちでした。そしてキリストの復活に接したから復活の証人が生まれ、キリスト教会が始まったのです。

  神は男と女をお造りになりました。互いに補い合い、助け合うように。そこに神の最初の大きな配慮があります。

          (完)

                                    2010年4月4日  

                        板橋大山教会   上垣 勝

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