イエスとの絆 (上)

 

                               ベルンの旧市街
  
  
               エスとの絆(上)
                   フィリピ4章21-23節
                    
          (1)
今日は棕櫚の主日です。イエスが12弟子たちとエルサレムに入城され、5日後にされこうべゴルゴタ)と言われる丘で処刑されました。世界の人たちは、この一週間を聖なる受難週としてイエスの受難の苦しみを恵みとして大切に味わいながら過します。
 
ルカによる福音書を見ますと、イエスは今週の木曜日の夜に逮捕されて大祭司の家に連行されました。先ずそこで、侮辱されたり殴られたり、目隠しされて誰が殴ったか言い当てて見よと言われたり、さまざま酷いことを言って罵(ののし)られました。
 
皆さんならどうでしょうか。私なら到底耐えられません。ちょっと酷いことを言われただけで、カッカするのが私ですから、大勢から言われたら絶対にふさぎ込みます。
 
深夜でしたが、ユダヤの最高法院サンヘドリンが召集され、全会衆が一致して総督ピラトの所にイエスを連行しました。処刑の許可をもらうためです。彼らは総督に、この男は民衆を惑わし、皇帝に背き、自分は王だ、メシアだと語って民衆を扇動していると、偽りを語って訴えました。
 
総督は、彼らが妬みに駆られてイエスを訴えているのを知っていました。それでイエスを取り調べて何の罪も見出せないので釈放しようとしましたが、人々が「十字架につけろ、十字架につけろ」と何度も何度も大声で叫び続け、何が何でも力ずくで死刑を要求して、ますます声が強くなる中で、遂にピラトは彼らの要求を入れる決定を下しました。暴動を恐れたからですし、暴動になれば自分の責任を本国から追及されるからです。
 
エスは左右に2人の犯罪人と十字架につけられました。イエスはその時、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と言って祈られました。エスは自分を取り巻く者たちを罵倒してもよかったでしょうが、罵倒するどころか神に執り成し赦しを祈られました。
 
しかし民衆は立って見物し、最高法院の議員たちは嘲笑って、「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで選ばれた者なら、自分を救うがよい」とはやし立て、兵士たちも近寄って侮辱を加えました。イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札が掲げられたのも、侮辱に侮辱を重ねるためです。このようにイエスは全くの嘲笑の内に殺されようとしていました。犯罪人の一人からも罵倒され、嘲られました。
 
しかし、もう1人の犯罪人だけは取り囲む全ての者たちとは違いました。彼は仲間が侮辱するのをたしなめ、イエスに向かって救いを求めて、「あなたの御国においでになる時には、私を思い出してください」と願いました。するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われました。
 
聖金曜日はイエスの生涯で最も暗い日です。その生涯は嘲笑と侮辱の中で終わりを迎えます。これほど口惜しく悲しいことはありません。だがその暗澹たる暗さの中で、イエスはこの犯罪人を救いに導かれました。まるでこの悪人を救うために、十字架に上られたかのようです。
 
この悪人は象徴です。彼は罪ある私たちを代表して、人生の最期に至ってもまだ救われるチャンスがあること、イエスの愛は十字架の先まで届いていることを証ししています。
 
長々申しましたが、この聖なる受難週、イエスの最後の一週間は深い意味を持っています。
 
           (2)
さて、今日取り上げる聖書は、1年3ヶ月続けてきたフィリピの信徒への手紙の締めくくりの挨拶です。パウロはこれで手紙を閉じます。だがもしかしたら、これがパウロの最後の手紙になるかも知れません。処刑がすぐにも執行されるかも知れないからです。
 
当時の社会の支配者は気まぐれです。今日でも、気まぐれな人が上に立つと下の者は大いに迷惑です。公平で、広い視野を持って判断を下す人であってもらいたいものです。当時では、意にかなわぬとあれば、些細な事にも極刑をもって報われました。独裁者秀吉の逆鱗げきりんに触れて殺された千利休がそうでした。
 
ところが、パウロの筆は極めて静かです。落ち着いています。「キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たちに、よろしく伝えてください。」まるで今後も交流が続くものとの確信があります。たとえ今日召されても、主にあって魂の交流は続いていくという思いがあるからでしょうか。
 
「キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち。」この人たちは「聖なる者」と呼ばれていますが、彼らは、先ほど述べた十字架に至るあらゆるイエスの嘲笑と侮辱から慰めをいただき、復活によって勇気を授けられていたと思われます。「イエスに結ばれている」という意味は、イエスとのそういう緊密な関係にあったという事です。
 
その彼らは、イエスを信じイエスに結ばれている者であるという理由だけで、イエスが受けたと同様の酷い扱い、裁きや嘲りを受け、屈辱を味合わされることがあったかも知れません。
 
しかしたとえそうであっても、彼らは、パウロが第1コリント4章で語っているように、「侮辱されては祝福し、迫害されては耐え忍び、罵られては優しい言葉を返して」いたでしょう。「キリスト・イエスに結ばれている聖なる者たち」とは、イエスの生き様、そのみ後に従いながら生きた人たちです。
 
そのことは2章15節からも窺(うかが)えます。「邪まな曲がった時代の中で、非の打ちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き…。」パウロに導かれて、彼らはキリストにしっかり結ばれて生きたのです。
 
彼らはキリストから孤立して生きるのでなく、キリストに根ざして生きることを選び、目に見えないが、地上に現に存在される復活の主に根ざして歩む人たちでした。自分たちは、「この世の成功や権力や他人からの評価にではなく、神の無限の愛の内に根ざす者だ」(ナウエン)と考える者でした。
 
先週、ある集会で、ある方の家庭に信仰が入った始まりを知りました。それは敗戦後、叔父さんがフィリピンで捕虜生活を送っていた時、どんなに酷い扱いを受けても仕方ないのに、何故か日本人捕虜に親切にしてくれるアメリカ兵がいて、不思議に思い、ある時その兵隊に聞いたそうです。すると、「私はクリスチャンです。キリストが教えられたことをしているだけです」という答えが返って来たそうです。
 
キリストは人をこれほどに変えることに感動して、先ず叔父さんが信仰に入り、やがてその妹が救われ、両親も救われ、妹というのは自分の母だったので自分の家に次々とキリスト教が入ったと言っておられました。
 
叔父さんが出会ったアメリカ兵は、キリストに結ばれている者として、憎しみや敵意を超えて愛そうとしていたのでしょう。で、その親切が日本兵の心を打ち、その一族が次々と信仰に導かれたのです。
 
教会の玄関横に赤とピンクのシクラメンが地植えされています。植木鉢に入っていた頃は萎縮して、それほど元気ではありませんでした。しかし地面に降ろしたところ伸び伸び育って、今、元気に次から次へ花を咲かしています。
 
人間も、神やキリストという確かな大地に根を下ろすと、衰弱していた命も活かされるものです。キリストにどっかり根を下ろしたアメリカ兵の真実でまぶしい姿が、戦勝国、敗戦国という隔てを越えて働くことになったのでしょう。
 
       (つづく)
 
                      
2010年3月28日