自由を生きる (下)


  
  
                                                                                            ヨハネ8章31-32節
  
  
                                 (3)
  さて、イエスは32節で、私の言葉に留まるならば、「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と語られました。真理そして自由です。自由には色んな自由があります。肉体的・身体的な自由もあり、心の自由、精神的な自由もあります。

  私は最近、寝床で体操をしてからでないと気持ちよく起きれません。昔は、錆びた自転車に油をよくさしました。そうじゃありませんでした?いま私は、一旦身体をほぐして、関節に給油してからやっと自由に気持ちよく起き上がれるのです。肉体の不自由さはこれからますます増すのでないかと思って、ここには沢山の先輩がおられるので、未知の不自由な世界に入って行くのをワクワクしたり、案じたりしています。

  自由には色々ありますが、自由の中心は恐れがないことです。恐れないことです。病気であっても恐れない人があります。失敗しても何ら気にしない自由な人もありますし、死を恐れない人もあるでしょう。詩編23篇に、「死の陰の谷を行く時も、私は災いを恐れない。あなたが私と共にいて下さる」とあります。まことの神を知るとき、恐れはなくなります。「神、我らと共にいます。」その神を信じるなら、自分を苦しめる者を前にしても心は落ち着いていられるでしょう。

  キルケゴールという人は、自由について思索しましした。そして、「どこにももう可能性がないなら、自由はない」と語りました。すべてが決まっていて、他に可能性がないということは運命論です。運命論者は他に可能性を認めません。自由がないところでは運命論です。キルケゴールは「死に至る病」という本を書きました。すなわち絶望です。運命論が極まれば絶望しかありません。そこから脱出する道がないと考えるので絶望になります。

  しかしイエスは、「死に至る病」と「死に至らぬ病」とがあることを示唆されました。たとえ死んでも生きると語って、死においてさえまだ可能性があるということ、死をも越えるものがあることを語られました。復活のキリストは、死も運命論も越えて、どんな人にも希望を与えるものです。すなわち自由を与えます。

  あるフランスの哲学者は、テゼのブラザー・ロジェについて、「彼は、自由が再び息を吹き返すことができる次元を切り拓こうとし、その次元が甦るように常に働いた」と語っています。どういうことかというと、諦めや運命論的な考え、なるようにしかならないとか、長いものには巻かれろといった諦めと闘って、多くの人たち、特に若者たちを90歳になるまで励ましたからです。

  病気の人も、小さいときに親に捨てられた人も、戦火で焼かれ家族を殺された人も、運命だと諦めてはならない。憎しみを返すのでなく、敵をも愛し、赦そうと励ましました。敵を憎み、敵をやっつけるのは一種の運命論です。それに対して、自由を突き出しました。いわば真っ暗な闇夜に光を掲げる人でした。自由が息づき、希望が息づくために働き、僅かに残った残り火を見つけて火をつけ、命が吹きかえすために働いた人です。

                                 (4)
  オバマ大統領はこの4月に、チェコプラハで大群衆に向かって話しました。それが世界的な反響を呼んでいます。「核兵器を最初に使った唯一の国として、アメリカは道義的責任がある」と語ったからです。広島の人たちは耳を疑いました。また、「アメリカは核兵器のない安全で平和な世界を求めていきたい」と語り、「世界は決して変わらないという声に対して、私たちはあえて、『世界は変わることができる』と主張しなければならない」と演説しました。そしてこれらの言葉を語る中で、諦めや「運命論は私たちの敵である」と述べています。核武装は仕方がないという運命論とオバマ大統領は戦っているのです。運命論から自由であろうとしている。だから彼の言葉に希望の芽が見えるのです。

  イエスは、「真理はあなた方を自由にする」と語られました。イエスは運命論でない道、運命を切り拓く希望の道を語られました。そして、「私は道であり、真理であり、命である」と語って、イエスご自身が希望に至る私たちの道になって下さいました。

  ブラザー・ロジェやオバマ大統領が立っているのは、私たちが今日耳にした、「真理はあなた方を自由にする」というのと同じ考えです。キリストの言葉に留まるなら、私たちも運命論を乗り越え、自由な行動、自由な発想、冒険も冒し、人を愛する自由、人を励ます自由、また敢えて敵を赦す自由を生きうるでしょう。自分を超えてチャレンジしていく力が甦らせられるでしょう。彼らがしているのは、キリストの言葉に立って、社会や世界の展望に希望の余地を広げようとしていることです。

  信仰を持つとは、神が生きておられることを示すことです。この世が考えるよりも、もっと多くの可能性があることを示すことです(ロワン・ウイリアムズ)。自由であるとは、愛において、親切において、他者に尽くすことにおいて、和解することにおいて、それを生きることによって、神が生きておられることを示すことです。

  私はこの後の報告の時に、皆さんに訴えたいことがあります。それは今申しました、「真理はあなた方を自由にする」という所から生まれたことですが、アメリカ大統領に手紙を送りたいという事です。送りたいといっても誰が書くのかという問題がありますが、実は数日前に書きましたので、賛成くださる方があれば署名して下さればいいと思います。後で詳しく申しますが、「ぜひ広島または長崎に来て被爆者への思い、そして核廃絶の思いを語っていただきたい」という事です。

  パウロは幻の中で、マケドニアから自分を招いている人があるのを知りました。それがきっかけになってキリスト教がヨーロッパに広がって行きます。私たちが出す手紙は、いわばマケドニアからオバマ大統領を招く手紙です。そしてこの手紙が、世界平和の新しい歩みのきっかけになってもらいたいのです。

  もう一度、31、32節を読んで終わります。「イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。『私の言葉に留まるならば、あなたがたは本当に私の弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。』」

        (完)
                                  2009年8月9日

                                      板橋大山教会   上垣 勝

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  (今日の写真:オルセー美術館で ④ )