キリストを生きる (下)


  
  
  
  
                                               
                                              ガラテヤ5章22-26節


                                 (3)
  パウロはここで、個人倫理を書いているのでしょうか。或いは、内面的な、精神的な心構えを記しているのでしょうか。私はそれだけだとは思いません。

  先週、アメリカのオバマ大統領がエジプトのカイロ大学で講演をしました。日本でも紹介されましたが、日本の報道は殆どそうですが、本当に私たちの生き方にとって大事なことは報道されません。残念ですが、カスのようなものしか記事にしていません。

  オバマ大統領がした講演には、宝物が一杯ありました。イスラムに対する善意と寛容、平和と誠実、柔和と愛が溢れていました。イスラムと欧米との関係に信頼を創り出すこと、相互理解と協力、互いに尊敬をもって謙虚に相手に耳を傾けることの必要を述べていました。長い講演でしたが、それを読んで、私はまるで今日のガラテヤ書を下敷きにしてオバマさんが語っているのでないかと思ったほどでした。そして最後の所では、キリスト教の伝道集会ではないかと思えるような終わり方をしていました。

  すなわち国際政治や外交においても、今日の聖書が極めて有効なのです。これは私的な、個人倫理やつまらない教えではありません。このような態度こそ、政治家に求められる資質だと言って良いかも知れません。国際間に信頼を創り出すのが、彼らの最も大事な使命だからです。

  何事も真に新しいことを始めるには、ここにあるような隣人への建設的な創造的な態度と心が溢れていなければうまく行きません。これは現在の日本人に必要な言葉だと思います。いや、世界の人々、特に世界の将来に責任を持っている若者たちに、欠かせない態度だと思います。

  ペトロの第1の手紙は、侮辱されたり、悪をなされたり、何をされても、「人を恐れたり、心を乱してはなりません。…穏やかに敬意をもって」接しなさいと勧めています。恐れることなく、「穏やかに、敬意をもって」人と接する。そのような成熟した、大人になり切った人間が、難しい宗教的対立、国際紛争、富める国と貧しい国の争い、また資源のある国とない国の葛藤などの複雑な対立がある国際社会では求められます。

  オバマさんは、安易な道でなく、忍耐して異質なものと新しい関係を築くという困難な道を通って行こうと呼びかけていました。すなわち、狭い門から入って行こうと訴えていました。これは身近な所では、最近、統制的になっている日本基督教団辺りにも求められているあり方です。そして最後に、「人にしてもらいたいことを、人々にせよ」と語って講演を終わりました。この言葉は、ゴールデン・ルールと言われるイエスの言葉です。

  これは万民に通じ、普通の生活をする全ての人に通じる教えであり、全ての宗教、イスラムにも、ユダヤ教にも、仏教にも通じる、あらゆる人たちを信頼の絆で結びつけるあり方です。このような精神こそ、多様な世界を一つに築いて行く事ができる最も重要な手立てなのではないかと思います。

  いずれにせよ、神の赦しによって与えられる「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実…」などの聖霊の実は、私たちを他者との新しい関係のあり方に向かわせ、他者を尊敬し、大切にするあり方。人間社会を創り変えるあり方へと導いていくのです。

  インターネットで探すと、<世界平和の手紙>という組織があります。偶然見つけましたが、そこにこんな言葉がありました。

  「人生で一番重要なことは、内なる平和であり、外なる平和であり、世界の平和である。平和は幸福をもたらす要となる素材である。内なる平和は外なる平和でもある。平和を発見するように一人の人を助けたら、あなたは世界を変えたことになるでしょう。」

  こういう手紙が、世界を駆け巡っているのでしょうか。どういう人たちがしているのか知りませんが、素晴らしいことです。

  イエスは、「あなたがたに平和があるように」と言われました。イエスによって与えられる平和は、赦しに基づく魂の最も内なるところに生まれる平和です。その平和は外なる平和、世界の平和を創り出すのです。そしてそれが世界に幸福を創り出すのです。そして、平和を発見するように一人の人を助ける。その時、あなたは世界を変えたことになると言えるのではないでしょうか。

  今日は「キリストを生きる」という題にしました。私たちは平和を語ること、キリストを語ることが重要です。しかし、語ってもそれを生きなければ空しいのではないでしょうか。生きるとは日常生活の中で生きるのです。キリストの平和に与って、キリストを生きましょう。福音を生きましょう。「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切…」。これらは生きられてこそ、「霊の結ぶ実」です。キリストを生きるのです。完全には生きれないでしょう。しかし、復活されたキリストが共におられるゆえに、またキリストのいます御国が約束されているゆえに、繰り返しキリストを生き、福音を生きましょう。私たちは地上では旅人です。御国に国籍を持つ旅人です。ですから地上で、息を引き取るまで御国の福音を指し示し、福音を生きて行きましょう。
 
          (完)
 
                             2009年6月7日

  
                                        板橋大山教会   上垣 勝


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  (今日の写真;ヴェズレーの司祭館。)