自然の呻きに連帯しよう (下)  ローマ8:18-30


                            (前回からつづく)

  産みの苦しみは、喜びの徴、力強い希望への入口だったのです。

  今や、人間は地球環境を変え、人間をも造り変えんばかりの鼻息で進んでいます。だが聖書は、「なぜ国々は騒ぎ立ち、人は空しく声を上げるのか。『われらは枷を外し、縄を切って捨てよう。』天を王座とする方は笑い、主は彼らをあざけり、彼らに宣言される」と語ります。

  「人間の混乱と神の摂理。」それが人類の歴史です。神の歴史支配は人間のいかなる傲慢や怠慢、罪があろうと堰き止められず、必ず貫かれます。現在の苦しみにも拘わらず、神は将来栄光を現わしてくださいます。

  パウロは、全被造物の直面する苦しみにも拘わらず、神はその全体をも包んで彼らを解放すること、自由にすること、その命を全うされるように持ち運んで下さるというのです。

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  今日の聖書はそれだけでなく、こうした現実社会の中での信仰者たちの働きについても語ります。

  ヨハネ福音書は、キリストは信仰者たちを世界から「連れ出す」ために来られたのではない、と語ります。むしろ、聖霊を送って他の被造物とのより深い連帯へと導いていかれるのです。聖霊はパラクレートスであり、慰めの神、助け主です。「連帯」の神です。

  19節に、「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます」とあります。彼らは、彼らの呻きに「連帯」してくれる信仰者たちを待望しているのです。被造物との「連帯」。

  これは、環境に優しい人々、神の創られた美しい地球、極めて良かったという地球環境を次の代に、子々孫々に受け渡していくという名誉ある使命と地位を、信仰者たちは授かっているということでしょう。何と光栄ある「連帯」でしょうか。このような誇らしい、恵みの使命に無関心であってはなりません。

  「平和を創りだす人たちは幸いである」とは、人間世界だけでなく、自然界全体に平和が創出されることを意味しています。人間界と自然界を切り離すことはできません。それをするなら自らに災いを招きかねません。水俣病は水銀を垂れ流すことによって、魚が汚染され、それを食べた人間も汚染されました。生態系は切り離すことはできません。

  「天に栄光、地に平和」というクリスマスのメッセージは、地に満ちる被造物全体への平和の到来の預言でもあります。地に平和が到来する事は、天に栄光があることです。イエス・キリストの誕生は、天地をも大きく包み込むそういう全被造物の救いをも示唆しています。

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  そして、被造物へのキリスト者の連帯は、呻きにおいて連帯することです。23節に、「被造物だけでなく、霊の初穂を頂いている私たちも、神の子とされること、つまり体の贖われることを、心の中で呻きながら待ち望んでいる」とある通りです。そして、私たちの呻きに対しては、26節で、神の霊である聖霊が、「言葉に表せない呻きをもって取り成して下さる」と言います。聖霊は私たちの呻きに連帯して下さるのです。

  被造物の呻きと、私たちの呻き、そして聖霊の呻き。これらは聖霊において包み込まれ、合流し、一つとなって神へと届けられていく。そういう壮大な、神秘的ともいえる連帯性がここで語られるのです。

  だが連帯といっても、私たちは、自分自身や他の人たちの呻きや、被造物全体が持つ呻きを、十分に言い表すことはできません。どうして欲しいかも明瞭でないかも知れません。だが、案ずる必要はないのです。

  人間と被造物の傷ついた体や心、滅びへの叫びは、キリスト者たちの呻きの連帯によって神に届けられます。かつてエジプトで過酷な労働、虐待、酷使に逢った時、イスラエルは神に向かって呻きました。その呻きは神に届きました。そのように被造物の呻きを巻き込むキリスト者の呻きも神に届きます。

  呻きという言葉は、新約ではここだけ、旧約は出エジプトの今述べた事件のところだけに出てきます。パウロは呻きを語った時、出エジプトの事件を考えていたはずです。

  私たちの貧しく、ぎこちない言葉が、聖霊の呻くような取りなしによって神に届けられる。人間と被造物の命が、十分に発揮され、満たされることを求める願いは、現実のこととなり、決して失望に終わらないのです。

  ですから、28節でパウロは大胆に語ります。「神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者たちは、万事が益となるように、共に働くと言うことを、私たちは知っています。」これはローマ書5章で語られていることと同じ内容です。「私たちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むと言うことを。希望は私たちを欺くことがありません。」

  神の歴史支配、神の善き意志、その摂理は終末に向かって必ず貫徹されるでしょう。私たちの弱さも失敗も悔いた心もお用い下さるのです。万事が益となるように働いて下さるのです。

  被造物全体の呻きに拘わらず、パウロキリスト者の使命を指し示しながら、神の力強いご支配という喜ばしい福音をここで語っているのです。

   2008年3月9日
                                   板橋大山教会   上垣 勝
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