富に仕えない喜び (上)  マタイ6章24節


  
                                 (序)
  今日の聖書の箇所は、5章から7章までの山上の説教(垂訓)の一部です。山上の説教は、ご存知のように「心の貧しい人々は、幸いである」など、「幸いである」という言葉で始まります。

  私はこの「幸いである」という言葉は、山上の説教全体を貫いていると思っています。ですから、今日の少し前にも富のことが出てきますが、19節以下は「天に宝を積みなさい」とありますが、ここには「天に宝を積む者は幸いである」ということが言われているのだと思います。5章の「幸いである」という言葉が、余韻を残してここまで鳴り響いているわけです。

  今日のところも、「神に仕える人々は幸いである」と幸いが語られ、逆から言えば「富に仕えない人々は幸いである」と、そういう人たちへの幸いが語られていると言っていいでしょう。

                                 (1)
  この箇所は長く教会生活をしている方には馴染みの深い所です。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」前の訳は、「神と富とに兼ね仕えることはできない」と訳されていました。

  「富」とあるのは、英訳ではマモンとなっています。これはギリシャ語のマモーナに由来する言葉です。英語の辞書では「悪、腐敗の根源としての富、欲、貪欲(どんよく)」となっています。また、「仕える」とは、それを主人として仕えること、その奴隷として仕えること、仕えさせられることです。
                                 
  漢字を創った古代の中国人は、物事をよく観察し深く考える人々であったと思います。貪欲と申しましたが、「貪」(どん、むさぼる)という字と「貧」(ひん、まずしい)という字はよく似ていますが、ここにも深い洞察があります。

  ここにいる皆さんは賢くいらっしゃるのでそんなことはないでしょうが、私は頭が弱いので、時々どっちが貪だったか貧だったか、分からなくなります。「貪」は上に今と書いて下に貝を書きます。「貧」は分けると書いて下に貝を書きます。

  貝は、古代中国の周の時代までは貨幣として、お金として使われていました。「貪」はその貝を、お金を今、と書くのです。お金に困っているので「今だ。後で、じゃない、今くれ!」というわけです。それが貪です。

  「貧」というのは面白い字です。貝の上に分けると書きます。貝を、お金を多くの人たちに分けるので貧になる。

  中国ではどうだったか知りませんが、聖書からこれをみると、お金や富を多くの人たちに分ける、それは幸いなことなのです。貧というのは、分かち合いの生き方であるとき幸いな生き方になるのです。イエスは、そういう意味で「貧しい人たちは幸いである」とおっしゃいました。

  蓮根に誠志会病院というキリスト教の病院があります。今は周辺にも病院が沢山できて、今どういうことになっているか知りません。しかし元々は、神様から頂いた賜物を人々に分かち合いたいというので、都内で生活保護家庭が2番目に多い板橋区に創られました。皆と賜物と富を分かち合いたい、誠実に仕えたいということでした。

  私たちの教会も49年前に、同様の趣旨で教会を板橋に創ったのです。一方は医療を分かち合い、私たちは福音を分かち合う、キリストの恵みを分かち合うということで、元々大塩先生は医者を目指していたんですが、方向転換してイエス様の恵みを分かち合う人になられて、信濃町教会の伝道所として板橋大山教会を開設して行きました。ですから富を分かち合う、というスピリットを今後も忘れてはなりません。教会は大きくなったり、豊かさを目指すのでなく、多くの人と分かち合うことを目指していかなくてはなりません。

  私たちが願うのは、小さな泉がこんこんと湧くような所になりたいということです。水場には小鳥や動物たちがやって来、人間もやって来ます。そこで渇きが癒されまたそれぞれの所に行くのです。泉から湧く水が小川となって流れ周辺を潤します。そういう教会でありたいというのが、私がここに赴任してお話したことです。大きくならなくてよい、来る人たちを潤せばいいのです。

  ところが多くの人がマモンに仕えています。マモンというのは富やお金や貪欲ですが、それがここでは人格化されて、仕えるとなっているわけです。

  皆さんは何時間ほど寝ておられますか。バタンキューで寝て、パッと目覚めて飛び起きる人はおられますか。それとも夜中に目覚めて、目覚めるとなかなか眠れないという人もありますか。

  今、多くの人たちが睡眠を十分取れていないんです。夜中に目覚めると、お金のことを考えるのです。将来のことを色々考えると不安になって、もう眠れないのです。若い人たちの中にそういう人たちが増えています。結婚したいけれど経済的不安のためにできない。これはもう政治家の失政です。新東京銀行の行き詰まりにさえ、否を言うことができない。失敗で始め、失敗で続け、失敗で終らないように望みます。

  でも若い人たちだけでなく、年配の人も最近睡眠がよく摂れていないそうです。なぜか。昨年夏頃からアメリカでサブプライム問題が起こって、株や投資信託が大暴落し、大損をした年配者が多く出ているからです。その人たちは夜おちおち眠れない。不眠症になっている。それが最近社会で起っていることです。

  すると、よく眠る人は良い人かと言うと、「悪い奴ほどよく眠る」とも言われます。これは冗談ですが。

  今株などで大損をした人たちは、農産物などの先物取引を考えているんです。でも、これは危険ですよ。2、30年ほど前でしたか、大変なことが起りました。損をしたから、どうにかここで取り戻さなくっちゃあと考えていると、それに付け込むブローカーなどがあって、とんでもないことにならないとも限りません。

  すべてこれらは、「貪」がドンドンなさしめる業です。

        (つづく)

     2008年3月30日                                
                                   板橋大山教会   上垣 勝

   ホームページはこちらです:http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  (今日の写真は、新幹線TGVのマコン駅。クリューニ修道院はここで降りバスで30分ほど。その15分ほど先にテゼ共同体があります。TGV駅は在来線のマコン駅とは違います。時々間違える方がありますので要注意。ただ在来線のマコン駅(マコン・ヴィレ)からもバスが出ています。)