主がお入り用なのです (上)  マルコ11章1-11節


                                 (1)
  今日は教会の暦で「棕櫚(しゅろ)の主日」と言って、イエス様のエルサレム入場を覚える日です。今日からの一週間は受難週といいます。
 
  この木曜日の夜、エルサレムのある家の2階で「最後の晩餐」がなされ、その後弟子たちとゲッセマネの園に出かけて、ゲッセマネの祈りと言われ、「祈りの戦場」とも言われるほどの3度にわたる血のにじみ出るような祈りをされました。それからイスカリオテのユダの裏切りにあい、翌日の金曜には十字架で処刑されて葬られるという、最後の1週間が今日から始まるわけです。

  今、イエスは12弟子たちとガリラヤからヨルダン川に沿ってその東側を南下し、川を渡ってエリコの町に入られました。エリコは世界最古の町といわれます。そこから山道を登り、オリーブ山を巻いて深い谷をわたると、前方の山の上にエルサレムがあります。今はその途上にありました。

  そして今日のところでは、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアに差しかかった時、2人の弟子たちを使いに出して、「村に入ると、まだ誰も乗ったことのない子ロバがつながれているから、それを引いてきなさい。誰かが何か言ったら、『主がお入用なのです』と言いなさい。そうすれば許してくれるだろう」と言われて、イエスはそのロバの子に乗って入城されたのです。するとエルサレムの人々は、歓声をあげて葉のついたなつめやしの枝を切ってきて道に敷き、上着も道に敷いて、「ホサナ」「ホサナ」と言って歓迎したというのです。「ホサナ」とは、「栄光があなたにあるように」とか「今、すくってください」という意味です。

  これらの歓迎は、王に対する歓迎の仕方です。彼らはイエス様を、ユダヤ人の王として、あるいは王の王として、神から油注がれたメシアとして歓迎したということでしょう。そして事実、イエスは「王の王、主の主」であられます。

  だが、普通王といえば、王様は馬に乗るのであって、王と馬、王と軍馬こそふさわしい取り合わせですが、イエス様は「主がお入用なのです」と言われてロバの子に乗ってエルサレムに入城されたのです。

  イエスは少しも誇られません。馬上から見下ろしたり、傲慢に命じたりされません。有無を言わせぬ力によって支配されません。並々ならぬ権威を具えておられましたが、権力的ではあられません。

  エリコの町を出る時に、盲人で道端で物乞いをしていたバルティマイが、一行が通るのを知って、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください」と叫んでやめようとしなかった時、人々は彼を強く叱りつけて黙らせようとしたと書かれています。それでも彼はイエスに求め続けました。するとイエスは彼に気づいて、これをお呼びになって慈しみ、その信仰をご覧になってお癒しになったとあります。人々が「この方をどなたと心得る。先の将軍…」。いやそうじゃない。ともかく、人々はバルティマイを上から見下ろしましたが、イエスの方はまったく優しい。

  民衆が荷物を運んだり、乗ったりする、姿も形も決して立派とはいえないロバを、この大事な時にお使いになるのです。ロバに乗る姿は決してスマートとはいえません。ましてやロバの子にまたがった姿は、滑稽(こっけい)でさえあります。子ロバは背が低いですから、それに座れば大人の背より低くなります。イエスは、人よりも低くなってエルサレムに入城されたのです。これがまことの王の姿です。民衆の姿をし、民衆を愛し、民衆の近くにいる者として入場されたのです。 

  イエスは、私たちから隔たった方ではありません。私たちの近くにおられます。私たちの近づけない所や、遠慮しなければならない所におられるのではありません。私たちの方が離れている時も、イエス様の方は既に近くに来てくださっているのです。

                                 (2)
  イエスは、弟子たちが村に入って子ロバを解いていると、誰かが何か言うかも知れない。その時はこう言いなさい。そうすればロバの子を貸してくれるだろうと言われました。そして実際そう言われたので、「主がお入用なのです。すぐまた返してくださいます。」と言ったら、許してくれたとありました。

  イエスは前からこのロバに目をとめておられたのです。それでその飼い主に話をつけておられたのでしょう。でも、聖書ではエリコを出てすぐに今日の話しに続きますから、飼い主に話をつける時間はなかったとも思います。すると、このところは、イエスの予知能力を言おうとしているのでしょうか。でも、ずっと前にこの飼い主に話しておられたとすれば話は分かります。

  イエスは前から子ロバに目をとめて、もしかすると生まれる前から飼い主と話して、この大事な仕事に用いようと心決めておられたのでしょう。

  イエスはどんなに小さくても、どんなに低く目立たない存在にも目をとめて用いられます。小ささや低さは、神の目には決して卑しいことではありません。自分を卑下する必要はないし、大きく見せることも、背伸びすることも要りません。自分を偽ることは自分を傷つけることです。自分の存在を否認することであり、自分であっちゃあならないと言うことです。大きく立派であることでなく、自分自身であることが重要です。イエスは、子ロバであったから用いられたのであって、大きいロバなら用いられなかったでしょう。

  10日ほど前の新聞に、ヘレン・ケラーの8歳のころの写真が載りました。なぜ120年前の彼女の写真が世界の脚光を浴びて、世界中の新聞に載ったのか。この写真は、8歳のヘレン・ケラーが膝の上に人形を持ち、芝生の庭で椅子に腰掛け、サリバン先生が彼女の手を握ってその顔をしっかり見つめている場面で、ここにヘレン・ケラーとサリバン先生の全ての大切なメッセージが含まれていたからです。恐らくこの人形が、ヘレン・ケラーによって床に叩きつけられ、引きちぎられたあの有名な人形なのでしょう。

  生後9ヶ月で突然病気になり、全く眼が見えず、耳が聞こえず、しゃべれないと言う、暗黒と静寂の中に住むようになった彼女は、三重苦の障碍の中で自分にも他人にも怒りをぶつけ、かんしゃくを起こすしかなくなったのです。

  しかし、サリバン先生によって忍耐強く教育がなされました。そして、物には名前があること、言葉があることを発見しました。更に、考えるということ、自分の気持を言い表すことができるという驚くべきことを発見して行きます。「奇跡の人」というお芝居で、サリバン先生とヘレン・ケラーの愛の死闘が繰り広げられるのをご覧になった方もあるでしょう。

  電車に乗っていると、「なぜ私が東大に」という本の宣伝がありました。朝日新聞の一面の広告欄にも出ていました。

  ヘレン・ケラーはやがて大学を出ます。それもハーバード大学です。そして教育者として、社会事業家として世界の人々に多くの影響を与えました。日本に3度も来られたのは、盲人の父といわれた岩橋武雄との友情があったからです。彼女は厚い自伝を書いています。文庫版でそら、こんなに厚いです。眼が見えず、耳が聞こえず、しゃべれないのにどうやって書いたんでしょうかね。不思議でなりません。

  自伝の終わりの方で、「私の自伝は決して偉大な作品ではない」と書いています。しかし、これこそ偉大な作品です。そして、もしその中に何か価値があるものがあるとすれば、私が優れているからではなく、心躍らせるような出来事があるからでなく、「神が、私を子として扱い、私をこらしめ、その光を消すことによって聾盲(ろうもう)の人々を助けさえようとされたところにあります。神は、私を、語れない者のために口とし、私の盲目を他人の眼とし、障害を持つ力弱い者のために手となり足とならせて下さったのです」と述べています。

  東大に入ったからどうのこうのじゃあない。ハーバードに入ったからどうのこうのでもない。その命を誰のために捧げるのか、そういう次元が社会の中に欲しいです。それが今日本の社会に失われています。

  ヘレン・ケラーは、自分は小さいゆえに用いられたと言うのです。神は自分をあえて小さくすることによって用いられたと言うのです。神は、私に眼をかけ、光を消すことによって、「主がお入用なのです」と語ってくださったから、小さい者が用いられたと言うのです。「なぜ私が東大に」なんて次元ではないんです。

  私たちは、キリストの前で、安心して小さくあっていいし、弱くあっていい。もしかするとキリストは私たちを、あえて弱くされるかも知れません。しかし、弱くなさる中で用いてくださるのです。キリストの前にあるとき、自分を正当化する必要もない。小さいままに留まり、そこで用いられる所に幸いがあります。

  (つづく)

  2008年3月16日
                                   板橋大山教会   上垣 勝
   ホームページはこちらです:http://www.geocities.jp/itabashioyama_ch/

  (今日の写真は、クリューニ修道院に残る神の子羊レリーフ。)