自然の呻きに連帯しよう (上)  ローマ8:18-30


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  今日の聖書箇所に、被造物の呻き、前の訳では被造物全体の呻きとなっていましたが、そういう生きとし生けるもの全体の呻きと、私たちキリスト者の呻き、そして神の霊の呻き・聖霊の呻きという3つの呻きが一パックになって出てきます。

  世界には呻きが満ちています。

  今年の3月第2土曜日は8日でしたが、何の日だったでしょうか。「国際女性デー」でした。女性の地位向上のために世界的に設けられた日です。

  日本では女性の地位が向上して来たように見えますが、企業の幹部の僅か0.8%しか女性でありません。イギリスは10%、スエーデンは23%ですから、歴然と遅れています。国会議員は10%ほどになりましたが、先進国に比べるとこれも格段に低いです。今、日本では50%の女性が働いていますが、平均では男性の1/3の給料しかもらっていません。一日の仕事を終え、買い物をして家に帰り、夕食を作る。子どもがいればその世話も大半が女性がする。被造物全体の呻きの中に、日本の女性たちの呻きも含まれていると言えます。

  先日の朝日歌壇に、「ガギグゲゴみたいな字しか書けません、病みてこわれて戻りしこの世」とありました。脳梗塞で倒れた方でしょうか。自分の呻く姿をユーモアを持って描いておられました。病気の人たちの呻き、年老いた人たちの呻きも、被造物全体の呻きに含まれます。。

  ワーキング・プアといわれる世帯が500万に達している。非正規社員がとっくに1000万人を超えたと言います。こうした呻きが社会に浸透するのは決していいことではありません。

  目を転じると、電力消費量は年々増加しています。イギリスでショックだったのは、家庭の照明が暗かったことです。日本人の感覚からすると、薄暗がりの中で夜の家庭集会をして討論していました。共稼ぎの学者の家庭でもそうでした。宇宙から地球を見ると、特に日本列島の夜は、他と比べてひときわ明るく輝いています。それをまかなうために、この小さな国に54もの原子力発電所があります。その数は、北支区の教会数と同じで、覚えやすい。世界で突出した原発大国が日本です。

  しかし、今なお「トイレなきマンション」だという現実は変わっていません。原発から出る大量の核廃棄物、それは原爆の死の灰と同じですが、廃棄物の処理方法はまだ見つかりません。未解決です。原発という豪華マンションは出来ました。だが、トイレがないのです。ですから各家庭ごとに汚物を密閉して保管しているのが現状です。各原発で保管しています。どのくらい保管しなければならないのかというと、あるものは2万4千年ほど保管しなければなりません。これではマンションの方が、先に寿命が来てしまいます。

  チェルノブイリ原発事故からこの4月で22年になります。被曝した子どもたちは大人になっていますが、今も苦しみ、ベラルーシウクライナの広大な被爆地に人は住めません。被造物は苦しみ、呻いているのです。

  原発のようなものでなくても、今、自治体はごみ処理問題で頭を悩ましています。あまり知られていませんが、海に漂うゴミは恐るべき量に達しています。その1/2はプラスチックのゴミです。もしそれを広げればアメリカ合衆国の2倍の面積になると外国の新聞は書いています。木や金属は腐りますが、プラスチックは半永久的に腐食しません。漁師さんたちは、魚のお腹からたばこのフィルターが出てきたり、海鳥のお腹から歯ブラシが出てきたりするんだと言います。日本ばかりでなく世界中で、です。

  神が創られた地球は美しい星でした。ご覧になったところ「甚だ良かった」のです。ところが、人を介して、汚染されたゴミの星になろうとしているのです。

  これらの事実を思うと、被造物は呻かざるをえないと言えるでしょうし、20節にあるように「被造物は虚無に服」さざるを得ないでしょう。もうイヤになっちゃう。また22節の「被造物は全て、今日まで共に呻き、共に産みの苦しみを味わっている」という言葉も頷けるでしょう。パウロはまた、彼らは虚無に服しつつも、「いつか滅びの隷属から解放されて、神の子たちの栄光に輝く自由にあずかれる」希望をもっている、と記しています。

  パウロの言葉が2000年前に書かれたとは思えないほど、今日の世界の呻きを不思議と言い表しているのではないでしょうか。

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  被造物の呻きを長くくどくどと述べましたが、パウロがここを書くのは、暗い現実をただ突き付けるためではありません。それを越えて、彼はメッセージを送ります。喜ばしい福音を語ります。

  彼は、被造物は共に呻いているが、「共に産みの苦しみを味わっている」と述べます。18節も同じ趣旨で、「現在の苦しみは、将来、私たちに現わされるはずの栄光に比べると取るに足りない」と語っています。彼は現在の状況を冷静に見るだけでなく、キリストによって将来を見ます。トンネルの向こうに一点の光がさしているのを見ます。それを見て進もうとするのです。

  古来、キリスト教世界では、神は聖書を通してメッセージを語り、同時に自然を通してメッセージを語っておられるという考えがありました。そのメッセージを聞こうとして、科学はまず修道院の中で発達するのです。天体観測、科学実験、鉄の製造なども修道院で起こります。

  パウロはこの個所で、被造物のメッセージを聞き、彼らの呻きは「産みの苦しみ」であること。だが「産みの苦しみ」である限り、それは希望の徴であるというのです。

  パウロは、世界が大災害や破局に向かっているのでなく、今、陣痛が起り、非常な難産かも知れません。大昔です。痛みを抑える注射も薬もありません。もがき苦しみ、時には泣き叫び、殺してくれ!と、お産で叫ぶかも知れません。パウロが言う「産みの苦しみ」とは、そういう苦しみです。被造物はそう言う産みの苦しみをしているというのです。

  だが産んでしまうと、母親はにこにこして、生まれた赤ちゃんの顔を穏やかな目で見ています。先ほどの苦しみがなかったかのような、満ち足りた顔で赤ちゃんを眺めています。  (つづく)

   2008年3月9日
                                   板橋大山教会   上垣 勝
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  (今日の写真は、中世にはローマに次ぐ勢力を持っていたクリューニの修道院。)