放蕩息子と父 (上)


  
                                          ルカ15章11-32節

                                 (序)
  今日の「放蕩息子の譬え」の長い箇所を、Aさんは上手にお読みくださいました。中途失明者のAさんにとって、点字聖書を皆の前で読むのは大変ヒヤヒヤものだろうと思います。先ほど妻が、Aさんに、今日は聖書を何回読んでこられましたかと聞いていました。そしたら、Aさんが「一度も!」と答えていました。Aさんのいつものユーモアです。でも今日は10回か、それ以上読んでこられたでしょう。このような見えない準備をして礼拝に出ておられることは、本当に私たちの喜びです。

  さて、イエス様は、父親から生前に財産を譲ってもらった息子が、放蕩の限りを尽くして、落ちぶれて戻って来た話をされました。レンブラントは、放蕩息子を抱きかかえる年老いた父の有名な絵を描いています。また、エルンスト・バルラハに「放蕩息子の帰郷」という有名な彫刻があります。

  バルラハによれば、人間はすべて物乞いだと言います。また、人間はすべて「問題を抱える存在だ」と書いて、私たちの姿を鋭く見抜いています。問題を抱えない人はここにおられますか。そういう目で、バルラハは物乞いになって帰って来た「放蕩息子の帰郷」のブロンズ像を作りました。数年前に芸大の美術館にこの彫刻が来ましたが、確かに心打たれる彫刻です。レンブラントの絵にも、バルラハの彫刻にも深い思索が隠されていて、イエスの譬えの意味の深さを指し示しています。

                                 (1)
  さて、放蕩に身を持ち崩し、豚飼い、すなわち落ちる所まで落ちてしまって、空腹の余り豚の食べるイナゴマメで空き腹を満たしていた弟は、ある日、我に返ったのです。そして乞食のような姿で家路についたのです。

  年間3万人以上の自殺者がここ何年も出ている時代です。しかし、自殺寸前でも「我に返る」ことが大事です。死んだつもりで、そこから人生を始めると必ず人生は拓けて来るものです。そういうこともここから考えさせられます。

  息子はすっかりやせ細り、とぼとぼと歩きながら乞食のような姿で家に向かいながら、父親にどう言おうかと思い巡らしていた時、父親は、まだ遠く離れていたのに息子の姿を見つけて走って来たとあります。出奔してから何年も経つでしょうが、毎日のように野に出ては息子の姿を空しく追って来たのでしょう。生前に財産を分けてほしいと無理を言って家を出た息子です。その様な息子を、家を出るときから心配し、毎日のように帰りを待っていたでしょう。

  息子を見て、「憐れに思い、走り寄って首を抱き」という行動の中に、父親の深い愛と悲しみの心が示されています。なぜ憐れに思ったかというと、息子が余りに情けなく、惨めな姿をしていたからです。人生の落伍者になっていたからです。親としてこれ程悲しいことはないでしょう。

  他人が見ても情けなく思わないかもしれません。ここに出てくる兄が見ても、きっと憐れに思うどころか、厄介者がまた帰って来たと眉をひそめるだけだったでしょう。実際、弟の帰還を知った兄は家に入ろうとしなかったとあります。

  しかし、父は小さい時からの弟息子の育つ姿、かわいらしく、素直だった少年時代、時々見せる優れた資質も見逃さなかったでしょう。家族の団欒の中で寛いで遊んでいた息子。にも拘らずこんな姿で帰って来た息子が、いとおしくてならなかったでしょう。

  親は、「自分たちの子育ては失敗だった」と自分を責めることがあります。あのことがいけなかったのか、このことが間違っていたのかとあれこれ考えて悩みます。最後は神の手に委ねざるを得ませんが、いつまでも思い悩みを続ける人もあります。この父親も、憐れな息子の姿を見て、咄嗟に自分を責めたかも知れません。

                                 (2)
  さて、「父親は息子を見つけ、走り寄って首を抱き、接吻した」とあります。年老いた父は、駆け寄るや、息子にすがるようにしっかりと抱きしめました。

  アウグスチヌスという人は、今から1600年程前の人です。日本で言えば聖徳太子より200年程前の人です。彼はアフリカ人です。黒人でした。青年時代は異端の宗教に走り長く放蕩生活に身を置いて、母モニカにとっては「涙の子」でしたが、やがてキリスト教に回心しました。そして中世キリスト教の偉大な思想家、指導者になりました。キリスト教思想、哲学、心理学、政治、文学、音楽にも影響を与えました。現在なお尊敬する人たちが多くあります。

  彼は、「神の腕はキリストである」と書いて、今日の箇所とマタイ11章28節以下の「疲れた者、重荷を負う者は、誰でも私のもとに来なさい。休ませてあげよう。私は柔和で謙遜な者だから、私のくびきを負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。私のくびきは負い易く、私の荷は軽いからである」というイエス様の言葉とを関係づけながら書いています。

  なぜ関連するかというと、放蕩息子は「疲れた者、重荷を負う者」として父の元に帰って来たからだと私は思います。そして、そんな重荷を負う者に、イエスは、「私のくびきを負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」と言われ、平和を約束されたのです。キリストの「くびきは負い易く、キリストの荷は軽い」からだとも言っておられます。くびきとは牛などが荷物を曳くとき、牛の首に渡している太い木の棒です。

  アウグスチヌスは、父親が、息子の首に腕を廻して抱きしめた時、父親の体がくびきのようになって息子を支えたのだ、と書いています。然るに、キリストのくびきは軽く、負い易いので、キリストのくびきを与えて、重荷の負い方を教え、どのように負えば救いに至るか、安らぎを得られるかを教えたというのです。比喩的な解釈です。

  何をどう負うかは極めて大事なことです。

  クリストフォロスという人がいたそうです。伝説上の人物かも知れません。彼はキリスト教に回心してから、ぜひ人の役に立ちたいと願って、大きな川の渡し守になって働いていたのです。ある日、小さな少年が来て、向こう岸に渡してくださいと願いました。小さい子どもなので、お安い御用ですと言って、子どもを背負って川に入って行きました。ところが深みに行くにつれ、その子どもはだんだん重くなり、さすがの強力(ごうりき)のクリストフォロスさえ倒れんばかりです。これは只者ではないと思って、岸に着くや、あなたはどなたですかと聞きました。するとその子は、「私は、世界の人々の罪を負っているキリストです」と答えたのです。クリストフォロスは、それであのように重い方だったのだということを知ったというのです。それと共に、その日の流れはいつになく早かったのですが、川の途中で負い切れない程重くなられたからこそ、クリストフォロスは激流に流されなくて済んだのだと言うことに気づいて、神をほめたたえたのです。

  キリストを負うことが私たちを助けるのです。自分は誰のために重荷を負い、何のために生きるかを知るなら、その方が私たちを励まして下さるのです。その時、心に平和が生まれます。「私のくびきを負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」と言われたのは、そういう意味です。世界中の罪を集めて負っておられる方ですから、そのキリストを負うことが救いになるのです。

  心の平和がない時に、どうして重荷を負えるでしょうか。愚痴が出てきます。溜息も出ます。恨みもします。心の平和がなければ、何をするにもうまく行きません。私たちの心には、闘争心があります。荒々しく、猛々(たけだけ)しい心も宿ります。プリプリしたり、荒れた心で人に接すると、決してうまく行きません。家族の間でもそうです。

  牧師館の2階のベランダに出る所に網戸があります。この網戸がなかなか開きにくい時があります。妻が、開かないので不機嫌になります。不機嫌になってこじ開けようとするから、なお開かない。こちらが意地になるから、向うも意地になって開こうとしません。北京オリンピックで女子柔道をやっています。かわいい顔をしているのに、時々足で相手の足を蹴飛ばしています。夫婦がテーブルの下で、足で蹴飛ばし合ったりしている家もあるかも知れません。足で網戸を蹴飛ばしても、網戸が言うことを聞いてくれる分けではないんです。ですから、私たちは心を整え、平和な心で、素直になって、こうスーッと…、いやなかなか固いんですね、わが家の網戸は。

  私たちは名だけのキリスト者になっちゃあいけない。心を真っ二つに割られたら、そこに平和が宿っているのが見えるような人でありたいです。「私の平和をあなたがたに与える」と言われた、キリストの平和で満たされたいと思います。そのようにして、キリストの平和をもって、くびきを負う時、荷は軽くなり、負い易くなるでしょう。
      (つづく)

        2008年8月17日

                                         板橋大山教会   上垣 勝

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  (今日の写真は、ボーヌのレストランでエスカルゴの料理。)