挫折が始まりでした


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                                                   背後の祈り (下)
                                                   ルカ6章12‐16節



                                 (3)
  さて12人はどんな男たちでしょう。少し詳しく辿りますと、先ず、「イエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ」。彼らはガリラヤ湖の漁師の兄弟で、父と舟を残してイエスに従った男たちです。決断力のある男たちです。

  ペトロとは岩や石を指すギリシャ語ですが、兄のシモンに「ペトロ、岩、石」というニックネームを付けられたのです。彼は岩のように固い信念の男、イエスをまことの主とすることにおいて人後に落ちぬ、信念の人になると見抜かれたのかも知れません。だが少しは石頭の所もあったかも知れません。兄に対し弟のアンデレは、大人しい人物です。兄が、例えば猛々しい武男君だとすれば、弟は静男君ともいえる人物です。だが兄と違って、一般的に弟は兄が叱られるのを見て育ちますから、要領のいい男だったかも知れません。多少夢見る所があり、ひ弱な消極的発言もしています。もしかすると草食系男子かも知れません。

  次の、「ヤコブヨハネ」も兄弟で、ガリラヤの漁師です。彼らは母親の血を引いて、競争意識の強い、抜け目のない兄弟だったようです。しかし抜け目のなさとは逆の事ですが、彼らはボアネルゲ・雷の子と呼ばれるほど、激しやすく切れやすい兄弟だったのです。そんな2人でありながら、いつかはイエス左大臣、右大臣になる機会を窺っているような人物でした。

  この4人だけを取っても、今日、どこかの事務所の一角で働く、4人の男たちの難しい人間関係を想像できるでしょう。

  フィリポも先の4人と同郷、ベトサイダ出身ですが、その他の事は詳細不明です。バルトロマイヤコブの子ユダ。彼らはフィリポ以上に更に詳細が分かりません。

  次のマタイは徴税人でした。計算が抜群で、他の者より経済観念が発達していたでしょう。冷静な男ですが、強制取り立てという暴力的な仕事の世界も知っている男です。そういう徴税人の仲間を多く持つ男で、その種の仲間に信頼され、先が読める人物だったと思われます。ただ彼がイエスの呼びかけに惹かれて、その仕事を即座にやめています。

  トマスは、やがて復活のイエスに出会っても、あなたの手の釘跡に触れ、わき腹の槍跡を確認しなければ、私は信じないと語るほど、懐疑的な人物として知られています。

  「熱心党と呼ばれたシモン。」熱心党はゼロテ党と呼ばれ、非常に愛国的な行動派のユダヤ人で、いつも暗殺のために短剣を忍ばせる武闘派。ローマ帝国との武闘を辞さない革命家だったかも知れません。

  そして最後に、「後に裏切り者となったイスカリオテのユダ」。12使徒の中には、裏切り者まで含まれていました。ただ「最後に」裏切り者になったのであって、この時はまだ決して裏切りを行なう人ではなかったでしょう。むろんイエスは彼も祈りぬいた末に、使命を託せるものとして、信頼してお選びになった筈です。

  いずれにせよ、12使徒とか12弟子とひとことで言っても、決して一つにまとめ切れない男たちです。大人しい者もいますが、荒くれ者もいますし、非常に冷静沈着な冷めた男もいます。かと思うと急に雷を落す雷の子たちもいます。どこの馬の骨ともわからぬ者もいますし、大物風の者も小者もいます。大人もいますが子どもっぽい人も加わっています。右から左まで、様々です。

  12使徒は教会の原型と申しましたが、現実の教会も決して一つにまとめ切れない人の群れです。だから面白いし、苦労だし、ダイナミックに教会は歩んでいくのです。全くの一枚岩だと画一的でファッション・モデルの顔のように面白くありません。

  ただ12人に共通なのは、この時はまだそうではないですが、やがて全員がイエスを見捨てて逃げた事でしょう。イエスの十字架の一番大事な時に逃げ、暫く姿をくらまし、やがて集まって肩を寄せ合い、息を凝らして潜んでいましたが、復活のイエスに出会って、やがて見違えるほど変えられて行きはしますが、12人は皆、同様に脛(すね)に傷もつ男たちです。しかも拭い切れない傷です。皆、やましさと弱さをひっさげて生きる、罪人の頭(かしら)ばかりです。

  だがこの挫折こそが、彼ら12使徒の本当の始まりになります。イエスから託された福音を、世界に持ち運ぶ人達になったのは、この挫折の経験を経、それを乗り越えた所からです。しかも神の一方的な憐れみによって乗り越えた所からです。神の恵みの選びがあったからです。

  イエスが夜を徹して祈られた末に彼らをお選びになったのは、こういう罪人の頭(かしら)たちの恵みの主であろうとされたからでしょう。そして罪人の頭たちの恵みの主であることを恥じられなかったのです。

  そもそもイエスは神から遣わされて、罪のない世に来られたのでなく、罪の溢れる世に来られたのです。ですから、あなたは罪人だから駄目。あなたはどうだから、こうだから人間失格、ダメダメ……。そんなことはあり得ないのです。罪ある人たちを愛して神の子にしようとしてこの世に来られ、何とかして彼らを神に連れ戻したいと言うので十字架について血を流されたのです。

  いずれにせよ、これら12人も、私たちも、優れた立派な、無傷の、完全な者だから選ばれたのではないのは確かです。ただ神の国のために、私たち不完全な者も、へばりがちな者も、必要とされて恵みによってお選び下さったのです。

  ですから、結論的に言える事は、この12人が生涯証ししたのは、自分の背後に、罪さえお赦し下さるイエス様の夜を徹した鋼鉄のような祈り、しかし折れそうな祈りでなく、愛の祈りであり、選びの祈りであることです。キリストの命は価なき者にもふんだんに注がれるという証だったに違いありません。

  つづめて言えば、使徒たちがイエスから託された使命とは、罪人をかくまで深く愛し、お赦し下さるお方が来られた。このお方の下で、私たちの人生は新しく始まるのだ。キリストの命が、信じる者一人一人に注がれるのだ。そしてこの世界も、人類も、あなたの人生も新しい夜明けを迎えているのだという事であったでしょう。どんなにつらい事があっても、最後まであなたを背負って行こうと主が言って下さることです。

  弟子たちは、これが弟子であるという画一的なユニフォームを持ちません。ただ心を込めてイエス様のために、自分にできるだけの事をする人であることだけです。むろん、言葉だけでなく、真実を込めて、転んでもまた立ち上がって、自分が置かれている所で、イエス様のため、神の栄光のために生きようとする人たちだと言っていいでしょう。生涯続く、背後からの選びの祈りがあるからです。


        (完)


                                           2019年5月12日




                                           板橋大山教会  上垣勝



  ヤフーの板橋大山教会ホームページは、2019年3月31日で終了しました。

  後日、ホームぺー作成の予定。

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再び立ち直ったら


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                                                   背後の祈り (中)
                                                   ルカ6章12‐16節



                                (2)
  どうして、夜を徹する程の重い、真剣な祈りをされたのでしょう。そのきっかけは、12人の選びの直前の、6章の最初で、イエスとファリサイ人たちの安息日論争がありましたし、それに続いて、イエス安息日に手の萎えた人を癒されたのをきっかけに、律法学者やファリサイ人が、「怒り狂って、イエスを何とかしようと話し合った」とあります。怒り狂ってイエスを抹殺しようとした。

  それほど酷い人間の頑迷固陋さ。ファリサイ派など宗教者たちの感情的で露骨な怒りが表面化する中で、祈りに祈って、神と相談しながら、12使徒を選ばなければならないと考えられて、途中では色々な事が起こっても、最後にはいかなる状況にも屈しない、状況がどんなに変わっても信仰を貫く、また誘惑も超えうる、何よりも裏切らない者として、おそばに置き、伝道に遣わすためでした。最終的にはその様な歩みに至ることになろう12使徒です。

  私たちが信仰に導かれ、父と子と聖霊の名によって洗礼を受け、キリスト者になった所にも、私たちそれぞれへのキリストの、背後からの祈り、神の選びの祈りがありました。その背後からの祈りに信頼して生きるなら、私たちもいかなる状況にも必ず支えられ、必ず導かれて行くでしょう。私たち自身はまことに弱いのですが、私たちの背後にもイエスの熱い、尊い、祈りがあるのです。背後から、イエスの熱い命が注ぎ込まれているのです。それが、神の恵みの選びであり、強くない、へばりそうな私たちを励まし、支えて、前進させてくれるのです。

  ですから、ペトロはやがて挫折しますが、ペトロのように私たちもたとえ挫折することがあっても、イエスは、「私はあなたの信仰がなくならないように祈った」と私たちにも言われます。また、「だから、あなたが再び立ち直ったら、兄弟たちを力づけてあげなさい」と、私たちを励まし支えられるのです。



        (つづく)

                                           2019年5月12日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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歴史の夜明けのために


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                                                   背後の祈り (上)
                                                   ルカ6章12‐16節



                                 (1)
  イエスの12使徒たちはイスラエルの12部族と関係があります。彼らはこれまでの古いイスラエル民族でなく、新しいイスラエルの12部族を象徴するものとしてイエスによって選ばれた人たちで、教会の原型になって行きます。今日は、教会の原型をなすこの12使徒たちの、イエスの選びから学ぼうとしています。

  先ずイエスが、「祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた」とあります。私たちは行楽のために山に行ったりしますが、むろんイエスは、単に山に行って夜明かしをされたのでありません。夜を徹して神に祈られたのです。英語ではヴィジルと言って、徹夜の祈りが一つの単語になっているほど、これは重要です。徹夜で聖書を読み続ける位なら出来るでしょうが、夜を徹して祈り続けるには、並大抵でない精神の集中力と持久力を要するでしょう。

  イエスは神のみ心、ご自分と神との関係、ご自分の使命について、神に祈られたのでしょうが、12使徒の選びについても祈られたのです。それはイエスが世に来られたことによって世界の歴史に新しい夜明けが訪れたからであり、12弟子たちがイエスの福音を世界に広めることによって、今後の人類と世界の歴史に対して、また一人一人の生き方にも重大な影響を与えることになるからです。

  そのためにイエスは夜を徹して祈り、「朝になると弟子たちを呼び集め、その中から12人を選んで使徒と名付けられた。」祈った末、夜明けと共に弟子たちを呼び集め、12使徒を選ばれたのです。

  ですから、彼らは自分の意志で勝手に使徒になったのでなく、イエスの徹夜の祈りを背後に持ち、イエスが神との相談の末に選ばれた人たちだと言っていいでしょう。それは神の恵みの選びです。勿論、彼らはこの選びに率先して喜びをもって従ったのです。

  いずれにしても彼ら12使徒らの存在根拠は、自分自身の中になく、イエスと神の中にあるという非常に深い恵みの選びに根拠を持つ人です。またその選びは生涯、死ぬまで続く、終身のものでした。

  使徒は、アポストロスという言葉ですが、使命をもって遣わされる者。使節や使者を指す言葉で、聖書では、キリストの使者として選ばれ、その職を委任されて遣わされる者です。


        (つづく)

                                           2019年5月12日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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天使のような顔


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                                                  天使のような顔 (4)
                                                  使徒言行録6章8‐15節



                                 (3)
  このような訳で最高法院の議員らは皆、今、目の前で告訴され、非難されて立っているステファノに一斉に目を向け、注目したのは言うまでもありません。ところが、彼を見ると、「その顔はさながら天使の顔のように見えた」のです。天使の顔のように輝いていたのでしょうか。

  彼は反論もしません。少しも慌てません。大祭司から「訴えの通りか」と尋ねられて、初めて静かに口を開いて話し始めたのです。その弁論は7章に書かれていますが、まるで天使のように希望に溢れ、恵みに満ち、いささかも恐れる所がなかったのでしょう。

  激しく多数の男たちから突き上げを食っているのに、人々は彼らのウソで丸め込まれ騙されているのに、彼は愚かな人間がまるでトンチンカンな反応をして、まるでそれを感謝しているかのように顔を輝かしているのです。愚かにも、喜びに満ちて活き活きしているのです。

  「さながら天使の顔のように見えた」とは、天から遣わされた使者の顔のように見えたという事です。純粋で、善良そのもの、神のご支配に対する疑いを知らぬ者のようであったという事でしょう。

  彼がどうして天使の顔のように見えたのでしょう。7章はステファノの弁明が全体にわたって記され、やがて7章54節以下で、ステファノに対するユダヤ人たちの激しい怒りが起こり、一斉に彼を襲って都の外に引きずり出し、石打の刑をもって彼を殺す場面が出て来ます。彼はその時、「聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言ったのです。また拳(こぶし)大や頭ほどの石を投げつけられる石打の刑を受けたのです。骨が折れ、頭蓋骨も陥没する鈍い音がしたかもしれません。だが、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言ったのです。その後、渾身の力を振り絞って身を起こして跪(ひざまず)き、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んで、永遠の眠りについた」のです。

  彼の心は、「この罪を彼らに負わせないでください」という思いに満たされていたのでしょう。だからいかに偽証されても、唆(そそのか)す者があっても、卑劣な事をされても、その顔は愛と赦しに輝いていたのでしょう。イエスのみ後に従って、罪を彼らに負わせようとはしなかったのです。

  その顔は、晴れ晴れと平和によって輝いていたのでしょう。「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」という言葉で表わされるような、イエスへの信頼であり、全きお委ねであり、キリストの平和を素直にお受けする姿です。「あなた方に平和があるように」と言って入って来られた、復活のキリストの平和に満たされて、どうして天使のように顔が輝かないでおれるでしょうか。我れすでに死に勝てり、です。

  彼の顔は、神に義とされて天使のような顔であったに違いありません。「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と語ったのは、神の義に与っているからでしょう。神から、信仰を義とされ、義しいとされた。その喜びに与って天使の顔のように見えたのでしょう。

  彼は捕らえられ、引き立てられて今、サンヒドリンの真ん中に立たされています。しかし、誰が彼を訴えるでしょう。誰が彼の不義を証明するでしょう。たとえ誰もが彼の不義を証明したとしても、神は彼を義とされるでしょう。彼はその確信を授けられて、その顔はさながら天使の顔のようであったのです。


       (完)



                                           2019年5月5日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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人類の歴史に何があったのだろう


                    ノートルダム大聖堂を覚えて3 アダムとエヴァ    右端クリックで拡大
                                  ・



                                                  天使のような顔 (3)
                                                  使徒言行録6章8‐15節



                                 (2)
  さて、リベルテンの人たちは偽証人を立てて、次のように訴えさせたのです。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」

  賄賂を使い、唆し、扇動し、色々な陰謀の末に偽証人まで立てるという所まで来たのです。ステファノを逮捕し、何が何でも葬り去ろうとの強硬姿勢です。ただ、こんなことが果たして現実にあるのだろうかと思う程です。これはフィクションでないかと考える人もあるかも知れません。

  しかしあるのです。私は今、「論語」からさらに進んで、今度は「平家物語」を読み、並行してあの膨大な書物、ギボンの「ローマ帝国衰亡記」を読むに至っています。全ては人類の歴史には何があったのだろうかと言う単純な問いから始まった読書です。世の識者の解説によらず、自分の目で原文に当たって考えたいという事です。

  「平家物語」は今から800年ほど前、1200年代のものですから、古語の素養がないので実に読み難いですが、平清盛時代の事が、昨日のごとく手に取るように分かります。清盛時代のもろもろの事件があぶり出されて、いかに悪事や陰謀が企てられ、実行されて行ったか、醜悪この上もない社会です。「美しい国、ニッポン」と言われますが、実際は到底そんなものではない。実情は遠く離れています。フロイスの「日本史」も昔、全巻卒読しましたが、キリシタン時代の信長、秀吉、家康などの姿がどうであったか明らかです。実際の歴史は、信長も、秀吉も、家康も、自らの手で、この国を辱め、貶(おとし)めたのでないかと思えます。罪に罪を重ねる旧約聖書の世界が、日本の歴史にもあり、人間の罪について書いたと言われる旧約聖書の世界とよく似ています。

  いずれにせよ、あの手この手を使い、ありとあらゆる悪と陰謀、偽証でステファノを消し去ろうとしたのです。そして最後の極めつけは、偽証人を立てて、「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう』」と訴えさせ、私たちはその証人ですと、ありもしないことをでっち上げて訴えさせた。

  初代教会の人たちはユダヤ教の神殿攻撃や彼らの宗教の伝統の攻撃をすることはありませんでした。イエスは一歩踏み出しておられますが、それはローマ帝国による神殿の破壊の預言であって、イエスが神殿を破壊するとか、破壊せよとか、モーセの習慣を変えると言われたことはありません。弟子たちは神殿やユダヤ教の伝統攻撃はいかに酷い争いになるかを知っているので、訴えのようなことまで言う筈がないのです。


       (つづく)


                                           2019年5月5日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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さっきはごめん


                    ノートルダム大聖堂を覚えて2 カインとアベル    右端クリックで拡大
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                                                  天使のような顔 (2)
                                                  使徒言行録6章8‐15節



                                 (1)
  さて今度は使徒言行録6章ですが、ペンテコステの後、エルサレムに誕生した初代の教会はユダヤ教当局と議会による逮捕や投獄がありましたが、徐々に民衆に受け入れられて、ヘブライ語を話す地元のユダヤ人だけでなく、ギリシャ語を話すユダヤ人たちの中に広まりました。

  当時は、原始共産社会のように持ち物を共有して、一つの大きな家族のようになっていましたので、教会は彼らの給食活動を始めました。そうした中、地元のユダヤ人の中には極めて貧しい人が多く、ギリシャ語を話す比較的裕福な人たちに対する苦情が出始めたのです。原始共産社会の持ち物の共有は理想に見えて、うまく行かないのは当然だったと思います。

  そこで、12使徒たちは祈りとみ言葉に専念し、給食活動は専任の他の人たちに任せて、霊と知恵に満ちた評判の良い信頼できる7人を選んだのです。中でもステファノは信仰仲間だけでなく、自発的に一般民衆の中に入って、彼らの目線に立って素晴らしい業を行ない、民衆に慕われ尊敬されたようです。

  それが、「ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた」と書かれていることで、彼は、神の恵みに豊かに満たされ、活き活きとイエスを証ししてパワーに溢れて活動したのです。

  「ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した」のです。

  「解放された奴隷の会堂」に属する人々というのは、リベルテンと呼ばれる会堂の人たちで、かつてローマとの戦いに敗れて奴隷になり、諸外国に連れて行かれて、その後解放されたユダヤ人、およびその子孫たちのことです。彼らは海外生活が長く外国語が自由に話せ、国際色も豊かなことから、リベルテンという特別な会堂と集団を作って、それに属していました。彼らはいわばユダヤ教の英雄たちで、屈辱的な奴隷状態から抜け出し、ユダヤ人としての誇りを回復したので、ユダヤ人以上に愛国的で国粋的であったに違いありません。

  ところが、ステファノがユダヤ人であるのにキリスト教に転向し、キリスト教徒として民衆から尊敬を得はじめたので、彼を憎悪し敵対し始めたのです。それにキリキヤ州とアジア州出身のユダヤ人たちも加わっていました。

  一体、ユダヤ教のどこが悪いのだ。キリスト教に行く必要などないだろうという訳で、ユダヤ人は全員ユダヤ教でなければならない。ユダヤ人がキリスト教になるのはおかしいと、猛烈に反発してステファノと議論したのです。

  「しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった」とあります。ステファノはそもそも知恵に満ちた人で、その上、神の霊に促されて自由にヒラメキをもって大胆に語るので到底太刀打ちが出来なかったのでしょう。

  そうなると力づくでも、是が非でも彼をやっつけたい。人間はそんなものです。そこで、人々を唆(そそのか)して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせたのです。それが事実なら、冒涜罪で処刑することが出来たのです。

  しかし唆すとは、賄賂を使って人を買収し、根も葉もない事を言わせることです。この言葉は元は、売春を斡旋するというような意味を持つ言葉のようです。非常に汚い手口で唆したのでしょう。

  ステファノは神を冒涜したことがなく、この種の言葉を語ったことがないのに、そういう言葉を彼から確かに聞いたなどと言わせて、目的のためには手段を選ばない訳で、罪なき人を冒涜罪で告訴し、処刑しようとした。

  そして更に、「民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。」唆すだけで済まさず、民衆や長老、律法学者などを扇動した。扇動とは、激しくかき回し、憎悪を掻き立てることです。そしてステファノの不意を襲って、捕らえ、最高法院、サンヒドリンに連行したのです。

  人間の素晴らしさの一つは、行き過ぎたことに気づいて、「ごめん」と言えることです。素直であること。これは個人の間でも、社会でも、国家間でも言えます。ステファノを告訴した人たちは、「ごめん」と言えない人々、言わない人々でしょう。この場合は、憎しみに取りつかれて、「ごめん」が言えない。

  「さっきはごめん」、「いつかはごめん。」この一言は明日へと繋がっていきます。いや、こう言うと、以前よりも一層親しくなるものです。しかし、「ごめん」がないと関係が切れます。

  その辺の事は個人だけでなく、日本政府もよく考えて、憲法改正に走るのでなく近隣諸国とよい関係を結んでいかなければならないでしょう。ましてや国民の65%が改正の必要なしという意見なのです。


       (つづく)


                                           2019年5月5日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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  後日、ホームぺー作成の予定。

悲しみを知るから悲しむ人の所に行く


                         ノートルダム大聖堂を覚えて 1      右端クリックで拡大
                                  ・



                                                  天使のような顔 (1)
                                                  使徒言行録6章8‐15節



                                 (序)
  今日は手違いで、子どもたちへのメッセージはご準備していらっしゃいませんので、ピンチヒッターで、うまくお話しできるかどうか分かりませんが、準備なしですがお話させていただきます。先ず、マタイ5章4節をお読みします。いいですか。ゆっくり開けていいですよ。開けました?……

  ここに、「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」とありました。悲しむ人がどうして幸福なのでしょう。喜ぶ人とか、仲のいいお友達がいる人は、幸福だというなら分かりますね。でも、悲しむ人、涙を流している人でもいい、そんな人が幸いだなんて、どういう事でしょうか。

  今日は準備なしのお話しですが、私は残酷な人なんですよ。とっても残酷。恐ろしい程なんです。色々ありますが、その一つだけお話します。

  私は小中学生の時は大阪に住んでいて、家の近くの川の畔は上流の方にずっと竹藪がかなり続いていて、竹藪の奥の方は雑木林になっていました。家は村から離れて8軒だけの会社の社宅で、8軒には同級生の女の子が一人いるだけで、後は年齢が小さくて友達がいませんから、私はよく一人川で泳いだり、魚釣りしたり、また雑木林に入って遊んだりしていたのです。ですから私はその大きな竹藪と雑木林の中に何がどこにあるか誰よりも知っていました。

  皆さん、モズって見たことがありますか。鳴き声を聞いたことは?東京のこの辺じゃ、ほとんど声を聞きませんが、モズは自分のテリトリーと言って縄張りを持っていて、その付近の一番高い木の梢にとまって、誰かが侵入してくると、ケケケケケケケとけたたましい声で囀るのです。威嚇するのですね。カラスなどでも追い掛け回しますよ。

  そのモズは3月から4月頃になると巣を作って卵を産み、雛(ひな)を育てます。モズは木の茂みのだいたい1mの高さの所に巣を作るのですが、私はよく観察していましたから、たいてい藪椿の木に巣をかけましたが、何月頃どの木の辺りに巣を作るかよく知っていたのです。モズの雛を取って来て、育てるのが趣味だったからです。

  雛は、巣を見つけさえすれば簡単に取れますが、親鳥は中々捕まえられません。ある時、私は親鳥を捕まえて育てたいと思ったのです。親鳥を取って育てるなんて到底出来ないんですが、試してみたかったのです。それで、中学から帰って夕方に、まだ明るかったですが、魚釣りのテグスを輪にして仕掛けを作って、巣の周りに置いて、一方の端を長く伸ばして4、5m先で隠れてじっと親鳥が巣の中に入るのを待っていたのです。

  時々親鳥が餌を運んで来ますが、餌を与えたらサッとまた飛び立ってしまうので、中々親鳥を捕まえるチャンスがきません。でも辛抱強く待って、やがて、今だと思ってテグスをサッと引いたのです。すると手ごたえがありました。親鳥を生け捕りにしたと思って喜びましたね。ところが見ると親はサッと逃げたのです。でもテグスに重みがあるのでどうしてかと思ったのです。それでよく見ると、残酷ですね私は、雛がテグスの先で首つりになってブラブラぶら下がっていたのです。まだ羽が生えていない、赤い体の雛の首を釣ってしまったのです。怖いですね。

  そんな事があった翌日、学校に行きました。新学年になってクラス替えが少し前にあって、名前を知らない子たちもクラスにいました。そしたら、昨日、新しいクラスの女の子が突然何かの病気になって、夕方に死んだと聞いたのです。とっさに私は、自分が殺したのだと思いました。だって丁度昨日の夕方、ほぼ同じ時刻に、私は雑木林でテグスを引いて手にブラブラ下がる重みを感じたのを知っています。

  思わず私は自分の手を見て、なんて恐ろしい事をしたのだろうと思いました。自分は恐ろしい同級生を殺した罪深い人間だと思いました。悲しくなりました。まだイエス様の事を知らない時でしたが、そんな事がありました。

  誰もこれと同じ事をすることはないでしょう。でも小鳥でないかも知れないし、動物でないかも知れませんが、これに少し似た事が起こることがあるかも知れません。私もまさかこんなことになるとは思わなかったからです。でも自分は残酷な人だと思いましたし、私の心の中に悲しみを一杯背負って生きることになりました。

  「でんでんむしの悲しみ」って言う本を知っていますか?この間から、天皇が交代しましたね。新しく平成から、何になったんだっけ。そう、令和です。それで前の天皇ご夫妻のことがテレビで色々放映していました。奥さんの美智子さんは素敵な方で、美智子さんのことも取上げていました。

  美智子さんと皇太子の結婚式は素晴らしい結婚式だったですよ。汚れのないおとぎの国の王子様とお姫様って感じでした。2人が馬車に乗って道路をパレードすると大勢の人が拍手しました。幸せそのものでした。でも実は、皇太子と結婚するのは大変なことで、美智子さんは皇居の中で色々といじめられたのです。最初はよかった。かわいい赤ちゃんを授かって喜ぶ姿が新聞に出たりしました。だがだんだんいじめがひどくなっていきました。学校でいじめがあるでしょう。それよりもっと酷いいじめがあって、前の昭和天皇からも酷い事を言われたようで――ようでって、私は美智子さんからじかに聞いたわけではありません――、とうとう美智子さんは言葉が出なくなったのです。悲しくて、悲しくて仕方ありません。皇太子のお姫様だし、やがて天皇になる方の奥様、皇后になる方なのに、いじめにあって言葉が出なくなるなんて、どんなに悲しい事でしょう。日本中の人たちに一番羨ましがられる所にいて、一番幸せだと思われているのに、実際はいじめられている訳で、そのギャップに自分は世界で一番悲しい人だと思ったに違いありません。言葉が出ないのです。そのことを誰かれなしに打ち明けられない。その原因を言えない。言ったら大変なことになります。苦しいですね。つらかったと思います。

  それで、美智子さんはキリスト教の学校を出ましたから色々とキリスト教の先生たちに相談なさったのです。また「でんでんむしの悲しみ」という本を思い出したのです。

  でんでんむしは重い殻を背負っているでしょう。でんでんむしはある時、その殻に悲しみがいっぱい詰まっていることに気づいたのです。すると悲しみのために生きて行けなくなったのです。それで近くの友達の所に行って、僕は悲しみを背負っていて、つらくて死んでしまいたくなるんだと言ったんだ。そしたら友達は、じつは僕も、この殻に一杯悲しみを背負っていてつらいんだよと言ったんだ。それで、でんでんむしは別の友達の所に行って聞いたんだ。するとその友達も、じつは僕もつらい事がいっぱい詰まっている殻を背負っているんだと言うんだ。それでまた別の所に行くと、やっぱり同じなんだ。それででんでんむしは気づくんだ。皆、殻の中に一杯悲しい事を背負って生きているんだ。僕だけでないんだ。それに耐えて生きなければならないんだと思ったって言うんだ。

  そういう話なんだけど、美智子さんは、ああ、悲しみを背負っているのは、自分だけではないと気づいたんだ。そんなことがあって、その後もキリスト教のお話やその他のお話を聞いたりして、だんだんとものが言えるようになったんだよ。悲しみを背負っているのは、悲しみを背負っている人の事が分かるように、神様がして下さったんだっていうことが分かって行ったんだと思います。悲しみを抱いているから、悲しみを抱いている人の所を特に訪問したりしようという事でしょうね。だから悲しみを背負ったのは結果的には、幸いなことだったんです。

  「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」とありました。どんなつらい悲しみがあっても、イエス様は知って下さっているんだ。いやそれだけでなく、悲しみを知ることによって、悲しみを知る人たちの友達になる喜びさえ与えて下さるのです。イエス様を知ると、悲しみが幸いになるんだ。私も、自分は悲しい人だと思いましたよ。でも、やがて大人になってイエス様を知った時に、イエス様が慰めて下さって悲しみを幸いにかえて下さったのです。……

       (つづく)

                                           2019年5月5日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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