天使のような顔
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天使のような顔 (4)
使徒言行録6章8‐15節
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このような訳で最高法院の議員らは皆、今、目の前で告訴され、非難されて立っているステファノに一斉に目を向け、注目したのは言うまでもありません。ところが、彼を見ると、「その顔はさながら天使の顔のように見えた」のです。天使の顔のように輝いていたのでしょうか。
彼は反論もしません。少しも慌てません。大祭司から「訴えの通りか」と尋ねられて、初めて静かに口を開いて話し始めたのです。その弁論は7章に書かれていますが、まるで天使のように希望に溢れ、恵みに満ち、いささかも恐れる所がなかったのでしょう。
激しく多数の男たちから突き上げを食っているのに、人々は彼らのウソで丸め込まれ騙されているのに、彼は愚かな人間がまるでトンチンカンな反応をして、まるでそれを感謝しているかのように顔を輝かしているのです。愚かにも、喜びに満ちて活き活きしているのです。
「さながら天使の顔のように見えた」とは、天から遣わされた使者の顔のように見えたという事です。純粋で、善良そのもの、神のご支配に対する疑いを知らぬ者のようであったという事でしょう。
彼がどうして天使の顔のように見えたのでしょう。7章はステファノの弁明が全体にわたって記され、やがて7章54節以下で、ステファノに対するユダヤ人たちの激しい怒りが起こり、一斉に彼を襲って都の外に引きずり出し、石打の刑をもって彼を殺す場面が出て来ます。彼はその時、「聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言ったのです。また拳(こぶし)大や頭ほどの石を投げつけられる石打の刑を受けたのです。骨が折れ、頭蓋骨も陥没する鈍い音がしたかもしれません。だが、『主イエスよ、わたしの霊をお受けください』と言ったのです。その後、渾身の力を振り絞って身を起こして跪(ひざまず)き、『主よ、この罪を彼らに負わせないでください』と大声で叫んで、永遠の眠りについた」のです。
彼の心は、「この罪を彼らに負わせないでください」という思いに満たされていたのでしょう。だからいかに偽証されても、唆(そそのか)す者があっても、卑劣な事をされても、その顔は愛と赦しに輝いていたのでしょう。イエスのみ後に従って、罪を彼らに負わせようとはしなかったのです。
その顔は、晴れ晴れと平和によって輝いていたのでしょう。「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」という言葉で表わされるような、イエスへの信頼であり、全きお委ねであり、キリストの平和を素直にお受けする姿です。「あなた方に平和があるように」と言って入って来られた、復活のキリストの平和に満たされて、どうして天使のように顔が輝かないでおれるでしょうか。我れすでに死に勝てり、です。
彼の顔は、神に義とされて天使のような顔であったに違いありません。「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」と語ったのは、神の義に与っているからでしょう。神から、信仰を義とされ、義しいとされた。その喜びに与って天使の顔のように見えたのでしょう。
彼は捕らえられ、引き立てられて今、サンヒドリンの真ん中に立たされています。しかし、誰が彼を訴えるでしょう。誰が彼の不義を証明するでしょう。たとえ誰もが彼の不義を証明したとしても、神は彼を義とされるでしょう。彼はその確信を授けられて、その顔はさながら天使の顔のようであったのです。
(完)
2019年5月5日
板橋大山教会 上垣勝
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