人類の歴史に何があったのだろう


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                                                  使徒言行録6章8‐15節



                                 (2)
  さて、リベルテンの人たちは偽証人を立てて、次のように訴えさせたのです。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」

  賄賂を使い、唆し、扇動し、色々な陰謀の末に偽証人まで立てるという所まで来たのです。ステファノを逮捕し、何が何でも葬り去ろうとの強硬姿勢です。ただ、こんなことが果たして現実にあるのだろうかと思う程です。これはフィクションでないかと考える人もあるかも知れません。

  しかしあるのです。私は今、「論語」からさらに進んで、今度は「平家物語」を読み、並行してあの膨大な書物、ギボンの「ローマ帝国衰亡記」を読むに至っています。全ては人類の歴史には何があったのだろうかと言う単純な問いから始まった読書です。世の識者の解説によらず、自分の目で原文に当たって考えたいという事です。

  「平家物語」は今から800年ほど前、1200年代のものですから、古語の素養がないので実に読み難いですが、平清盛時代の事が、昨日のごとく手に取るように分かります。清盛時代のもろもろの事件があぶり出されて、いかに悪事や陰謀が企てられ、実行されて行ったか、醜悪この上もない社会です。「美しい国、ニッポン」と言われますが、実際は到底そんなものではない。実情は遠く離れています。フロイスの「日本史」も昔、全巻卒読しましたが、キリシタン時代の信長、秀吉、家康などの姿がどうであったか明らかです。実際の歴史は、信長も、秀吉も、家康も、自らの手で、この国を辱め、貶(おとし)めたのでないかと思えます。罪に罪を重ねる旧約聖書の世界が、日本の歴史にもあり、人間の罪について書いたと言われる旧約聖書の世界とよく似ています。

  いずれにせよ、あの手この手を使い、ありとあらゆる悪と陰謀、偽証でステファノを消し去ろうとしたのです。そして最後の極めつけは、偽証人を立てて、「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう』」と訴えさせ、私たちはその証人ですと、ありもしないことをでっち上げて訴えさせた。

  初代教会の人たちはユダヤ教の神殿攻撃や彼らの宗教の伝統の攻撃をすることはありませんでした。イエスは一歩踏み出しておられますが、それはローマ帝国による神殿の破壊の預言であって、イエスが神殿を破壊するとか、破壊せよとか、モーセの習慣を変えると言われたことはありません。弟子たちは神殿やユダヤ教の伝統攻撃はいかに酷い争いになるかを知っているので、訴えのようなことまで言う筈がないのです。


       (つづく)


                                           2019年5月5日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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