悲しみを知るから悲しむ人の所に行く


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                                                  天使のような顔 (1)
                                                  使徒言行録6章8‐15節



                                 (序)
  今日は手違いで、子どもたちへのメッセージはご準備していらっしゃいませんので、ピンチヒッターで、うまくお話しできるかどうか分かりませんが、準備なしですがお話させていただきます。先ず、マタイ5章4節をお読みします。いいですか。ゆっくり開けていいですよ。開けました?……

  ここに、「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」とありました。悲しむ人がどうして幸福なのでしょう。喜ぶ人とか、仲のいいお友達がいる人は、幸福だというなら分かりますね。でも、悲しむ人、涙を流している人でもいい、そんな人が幸いだなんて、どういう事でしょうか。

  今日は準備なしのお話しですが、私は残酷な人なんですよ。とっても残酷。恐ろしい程なんです。色々ありますが、その一つだけお話します。

  私は小中学生の時は大阪に住んでいて、家の近くの川の畔は上流の方にずっと竹藪がかなり続いていて、竹藪の奥の方は雑木林になっていました。家は村から離れて8軒だけの会社の社宅で、8軒には同級生の女の子が一人いるだけで、後は年齢が小さくて友達がいませんから、私はよく一人川で泳いだり、魚釣りしたり、また雑木林に入って遊んだりしていたのです。ですから私はその大きな竹藪と雑木林の中に何がどこにあるか誰よりも知っていました。

  皆さん、モズって見たことがありますか。鳴き声を聞いたことは?東京のこの辺じゃ、ほとんど声を聞きませんが、モズは自分のテリトリーと言って縄張りを持っていて、その付近の一番高い木の梢にとまって、誰かが侵入してくると、ケケケケケケケとけたたましい声で囀るのです。威嚇するのですね。カラスなどでも追い掛け回しますよ。

  そのモズは3月から4月頃になると巣を作って卵を産み、雛(ひな)を育てます。モズは木の茂みのだいたい1mの高さの所に巣を作るのですが、私はよく観察していましたから、たいてい藪椿の木に巣をかけましたが、何月頃どの木の辺りに巣を作るかよく知っていたのです。モズの雛を取って来て、育てるのが趣味だったからです。

  雛は、巣を見つけさえすれば簡単に取れますが、親鳥は中々捕まえられません。ある時、私は親鳥を捕まえて育てたいと思ったのです。親鳥を取って育てるなんて到底出来ないんですが、試してみたかったのです。それで、中学から帰って夕方に、まだ明るかったですが、魚釣りのテグスを輪にして仕掛けを作って、巣の周りに置いて、一方の端を長く伸ばして4、5m先で隠れてじっと親鳥が巣の中に入るのを待っていたのです。

  時々親鳥が餌を運んで来ますが、餌を与えたらサッとまた飛び立ってしまうので、中々親鳥を捕まえるチャンスがきません。でも辛抱強く待って、やがて、今だと思ってテグスをサッと引いたのです。すると手ごたえがありました。親鳥を生け捕りにしたと思って喜びましたね。ところが見ると親はサッと逃げたのです。でもテグスに重みがあるのでどうしてかと思ったのです。それでよく見ると、残酷ですね私は、雛がテグスの先で首つりになってブラブラぶら下がっていたのです。まだ羽が生えていない、赤い体の雛の首を釣ってしまったのです。怖いですね。

  そんな事があった翌日、学校に行きました。新学年になってクラス替えが少し前にあって、名前を知らない子たちもクラスにいました。そしたら、昨日、新しいクラスの女の子が突然何かの病気になって、夕方に死んだと聞いたのです。とっさに私は、自分が殺したのだと思いました。だって丁度昨日の夕方、ほぼ同じ時刻に、私は雑木林でテグスを引いて手にブラブラ下がる重みを感じたのを知っています。

  思わず私は自分の手を見て、なんて恐ろしい事をしたのだろうと思いました。自分は恐ろしい同級生を殺した罪深い人間だと思いました。悲しくなりました。まだイエス様の事を知らない時でしたが、そんな事がありました。

  誰もこれと同じ事をすることはないでしょう。でも小鳥でないかも知れないし、動物でないかも知れませんが、これに少し似た事が起こることがあるかも知れません。私もまさかこんなことになるとは思わなかったからです。でも自分は残酷な人だと思いましたし、私の心の中に悲しみを一杯背負って生きることになりました。

  「でんでんむしの悲しみ」って言う本を知っていますか?この間から、天皇が交代しましたね。新しく平成から、何になったんだっけ。そう、令和です。それで前の天皇ご夫妻のことがテレビで色々放映していました。奥さんの美智子さんは素敵な方で、美智子さんのことも取上げていました。

  美智子さんと皇太子の結婚式は素晴らしい結婚式だったですよ。汚れのないおとぎの国の王子様とお姫様って感じでした。2人が馬車に乗って道路をパレードすると大勢の人が拍手しました。幸せそのものでした。でも実は、皇太子と結婚するのは大変なことで、美智子さんは皇居の中で色々といじめられたのです。最初はよかった。かわいい赤ちゃんを授かって喜ぶ姿が新聞に出たりしました。だがだんだんいじめがひどくなっていきました。学校でいじめがあるでしょう。それよりもっと酷いいじめがあって、前の昭和天皇からも酷い事を言われたようで――ようでって、私は美智子さんからじかに聞いたわけではありません――、とうとう美智子さんは言葉が出なくなったのです。悲しくて、悲しくて仕方ありません。皇太子のお姫様だし、やがて天皇になる方の奥様、皇后になる方なのに、いじめにあって言葉が出なくなるなんて、どんなに悲しい事でしょう。日本中の人たちに一番羨ましがられる所にいて、一番幸せだと思われているのに、実際はいじめられている訳で、そのギャップに自分は世界で一番悲しい人だと思ったに違いありません。言葉が出ないのです。そのことを誰かれなしに打ち明けられない。その原因を言えない。言ったら大変なことになります。苦しいですね。つらかったと思います。

  それで、美智子さんはキリスト教の学校を出ましたから色々とキリスト教の先生たちに相談なさったのです。また「でんでんむしの悲しみ」という本を思い出したのです。

  でんでんむしは重い殻を背負っているでしょう。でんでんむしはある時、その殻に悲しみがいっぱい詰まっていることに気づいたのです。すると悲しみのために生きて行けなくなったのです。それで近くの友達の所に行って、僕は悲しみを背負っていて、つらくて死んでしまいたくなるんだと言ったんだ。そしたら友達は、じつは僕も、この殻に一杯悲しみを背負っていてつらいんだよと言ったんだ。それで、でんでんむしは別の友達の所に行って聞いたんだ。するとその友達も、じつは僕もつらい事がいっぱい詰まっている殻を背負っているんだと言うんだ。それでまた別の所に行くと、やっぱり同じなんだ。それででんでんむしは気づくんだ。皆、殻の中に一杯悲しい事を背負って生きているんだ。僕だけでないんだ。それに耐えて生きなければならないんだと思ったって言うんだ。

  そういう話なんだけど、美智子さんは、ああ、悲しみを背負っているのは、自分だけではないと気づいたんだ。そんなことがあって、その後もキリスト教のお話やその他のお話を聞いたりして、だんだんとものが言えるようになったんだよ。悲しみを背負っているのは、悲しみを背負っている人の事が分かるように、神様がして下さったんだっていうことが分かって行ったんだと思います。悲しみを抱いているから、悲しみを抱いている人の所を特に訪問したりしようという事でしょうね。だから悲しみを背負ったのは結果的には、幸いなことだったんです。

  「悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」とありました。どんなつらい悲しみがあっても、イエス様は知って下さっているんだ。いやそれだけでなく、悲しみを知ることによって、悲しみを知る人たちの友達になる喜びさえ与えて下さるのです。イエス様を知ると、悲しみが幸いになるんだ。私も、自分は悲しい人だと思いましたよ。でも、やがて大人になってイエス様を知った時に、イエス様が慰めて下さって悲しみを幸いにかえて下さったのです。……

       (つづく)

                                           2019年5月5日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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