19年 墓前礼拝


                       ノートル・ダム大聖堂を覚えて 8      右端クリックで拡大





                             19年5月墓前礼拝
                                              ヨハネ黙示録3章20節
                                              ヨブ記9章6、9、11節
                                              ヨブ記12章7‐10節



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  この礼拝は、ここに葬られた50人程の皆さんを覚えての墓前礼拝ですが、Aさんの納骨の辞も兼ねてお話いたします。

  今年も私たちは懐かしい方々の所に来て、まるで古里に戻ったような気がしないではありません。Bさん、Cさん、Eさん…と、懐かしい方々のお名前があり、最後に大山教会を開拓したドンのような大塩先生のお名前まであるので、ホッとするというか、安堵するというか、胸にこの人たちとの楽しい思い出が湧いてまいります。

  それぞれ祖父母や父母や妻や夫、肉親である方であり、ありし日は共に笑い、涙し、肝胆相照らし、語り合った友たちであり、時には人生と信仰の戦友のような方々です。

  そして今日また新たに、母であり、祖母であり、私たちの思い出深い友のお一人が、納骨されようとしています。Aさんとは、丁度21世紀を迎えた頃から、約20年間、板橋大山教会において信仰と友情を深くすることが出来、深く感謝を申し上げると共に、ご家族の悲しみを私たちもお分かちさせて頂きたいと思います

  Aさんは存在感のある方でした。そこにいるだけで安心できるというか、色々な事があっても、この方がいると、まあ、何とかなると安心できる存在でした。随分前に、教会のリフォームの工事を10月末に控えて、その年のバザーは出来ないのでないかと皆、躊躇していましたら、Aさんが立ち上がって片手を突き出し、「さあ、今年もやるぞ」とおっしゃって、一件落着したことがあります。仕切る人でありませんが、最後のとどめを刺すというか、結論はこうと言ってくれる存在でした。腹が座っていたのです。

  私はこの9か月、特別な恵みを頂きました。Aさんのお骨を仕事机の前に置いて、目と鼻の先で毎日「おはようございます」と対面しながら暮らすことが出来たからです。93年の人生を振り返ることは勝手には誰もできません。しかしこのお方が存在なさった深い意味を感謝して受けとめ、かけがえない人生をお送りになった事を、お骨というこの方の分身を、僅か1年弱でも近くにお置きして、黙想しつつ生活すること。それは特別な恵みの時でした。

  Aさんだけでなく、このお墓に入っている方々は皆、お骨を牧師の前に置くかどうかはともかくも、そのように教会によって受け止められ、覚えられ、やがてここに入られた方々です。

  キリスト教の弔いは、その方の人格、存在そのもの、その方の中核である魂を、こうした人格的出会いとして大事にすることです。それは会社、企業、営利、お金、経済、そんな価値観ではありません。人を利用する価値観とも異なります。それらは世界のごく一部分をなしている価値に過ぎません。神に創造された実際の世界はもっと大きく、深いものです。私たちが裸で来、裸で帰って行く世界は、もっともっと巨大で且つシンプル。4次元でなく、6次元でなく、10次元をも超えて、且つシンプルです。私たちが来た時の姿で、また行くのです。土に帰り、灰に帰り、チリに帰ります。労苦の結果を何一つ持って行くわけではありません。

  聖書は語ります。「神は大地を、その立つ所で揺り動かし、地の柱は揺らぐ。…神は北斗やオリオンを、スバルや南の星座を造られた。…神がそばを通られてもわたしは気づかず、過ぎ行かれてもそれと悟らない。」(ヨブ記9章)

  「獣に尋ねるがよい、教えてくれるだろう。空の鳥もあなたに告げるだろう。大地に問いかけてみよ、教えてくれるだろう。海の魚もあなたに語るだろう。彼らはみな知っている。主の御手がすべてを造られたことを。すべての命あるものは、肉なる人の霊も、御手の内にあることを。」(ヨブ記12章)

  人類が生まれる前から、永遠から永遠まで実在して来た、その様な世界から、私たちはこの世界を見、奥村さんも、他の方々も、神と出会い、イエスと出会って、ご覧になっておられたのです。人間が世界の中心にいるのではありません。

  人生は旅です。永遠から永遠まで実在する世界にありながら、来たる所も、行先も知らないのです。しかし、永遠の古里を目指して、巡礼の旅をしているのです。

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  Aさんが長く親しみ、座右の書にされた一冊の書、ハレスビー著「みことばの糧」は、召されて間もなく、お孫さんのFさんがこれらは教会で使うか処分して下さいと頂いたものの一冊で、誰も見る者がなく、私が記念として頂きました。

  その中から抜粋して読ませていただきます。……

          (完)


                                        2019年5月12日(日)
                                               午後2時30分




                                           板橋大山教会  上垣勝



  ヤフーの板橋大山教会ホームページは、2019年3月31日で終了しました。

  後日、ホームぺー作成の予定。

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