長老の目に光った涙


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                                                  役員の使命 (2)
                                                  使徒言行録20章28節



                                 (1)
  パウロはエフェソ長老たちを前に、こう切り出しました。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。」

  パウロの言葉を耳にして長老らは深く頷いたでしょう。彼はエフェソとその周辺で、ユダヤ人などの数々の陰謀に遇いながらもそれに負けず、全力を尽くして、主にお仕えして来たのを目にして来たからです。「自分を全く取るに足りない者と思い」とありましたが、どんな分野でも人は指導的地位に着くと、何かしら偉そうな態度が現れて来ますが、彼は指導者であるに拘わらず、謙遜の限りを尽くして働いて来たことを長老らはよく知っていたのです。

  彼は口先でなく、自分は、主の恵みを入れるには不十分な、取るに足らぬ土の器であることを、涙を流し、恥じつつも、主にお仕えしたのです。それほど彼はキリストの赦しと恵みに圧倒され、心打たれ感謝していたからです。

  そして皆さんに、「役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです」と語りました。

  皆さんの役立つこと、皆さんを通して主の栄光が現わされることは全て、お伝えしました。それを2点に絞れば、神への悔い改めと、イエスに対する信仰です。この2つを最も大事なこととしてお伝えし、ユダヤ人、ギリシャ人の区別なく、ためらわず大胆に語って来ましたと述べたのです。そして今、「わたしは、“霊”に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています」と語りました。

  彼は、前途に何が待っているかを話したのです。将来の事は誰も分かりませんが、あちこちの町で聖霊が自分に教えて下さるのは、投獄と苦難、迫害が待っている事ですと、率直に語り、神が私に「決められた道を走りとおし、…主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しする任務を果たすことができさえすれば、この命は惜しいとは思いません。今、あなたがたが二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています」と語りました。

  この言葉を耳した長老たちの目に涙が光ったかも知れません。エフェソの長老たちにミレトスに来てもらった最大の理由は、ここにあったでしょう。一般の信徒や一般の人にパウロの投獄や殉教の死を語って、要らぬ不安を煽り立てる必要はないからです。また、長老たちにはパウロ亡き後への覚悟を決めてもらいたいからです。この時代の長老は特別な資格を持つ人ではなかったでしょうが、それでも教会の屋台骨をなす人たちです。エフェソ教会の柱となり中心をなす人たちが動揺せず、今後の教会のために腹をくくって会員一同と進んで欲しいからです。

  ここにはパウロの生涯を貫いて来た、神の恵みの福音を力強く証しするという使命、命をも惜しまずそれを語るという使命感が見て取れます。ただ彼はそれを引きつった顔で語っているのではありません。あくまでも「神の恵みの福音」を語り得さえしたらと言っているように、それは神の恵みへの感謝の行為であり、喜びの行為です。彼は神からの使命を今後もひるまず喜びをもって貫いて行く故に、投獄と苦難、迫害が待っているというのです。いや、その結果、「二度と皆さんは私の顔を見る事はないでしょう」と言うのです。


        (つづく)


                                           2019年4月28日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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