お芝居の本質に触れました


                      セーヌに架かる Double橋からのノートルダム
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                                                 水の上にパンを投げよ (3)
                                                 コヘレト11章1-6節



                                 (2)
  3節は、「雨が雲に満ちれば、それは地に滴る」と語ります。古代の人がどうして水滴が雲に満ちて、持ちこたえられなくなって雨となって地に落ちて来ると、科学的なことが分かっていたのでしょう。解せませんが、古代人は科学を知らないとする現代人の偏見がそう考えさせているだけかも知れません。いずれにせよ、これが事実だ、自然現象だとコヘレトは言いたいのでしょう。

  今、キャティさんが話題沸騰中です。キャティ・バウマンさん。26才の女性で、あの大ブラック・ホールの姿を目に見えるようにした立役者です。ただ彼女は喜びを爆発させていますが、謙遜な方で、自分一人ではできない。色々な分野の色々な方の国際的な協力があって出来ましたと言っています。彼女は別に超人ではありません。高度な数学を使いますが、私たちの日常と地続きの事をしているだけです。彼女自身が説明しているのをユーチューブで見ると、もしかすると古代人も分かるかも知れません。今言いたいのは、現代人だけでなく古代人も、私たちが考えるのと同様に科学的であったかも知れないという事です。

  それに続いて、「南風に倒されても北風に倒されても、木はその倒れたところに横たわる」と語ります。木は風でどっち向きに倒れるか分かりません。ただ倒れた所に木は横たわります。倒れる前はどっち向きかは誰も分からないが、倒れたこと自体が大事で、それは事実だというのでしょう。

  話を発展させれば、いつ、何の事で生涯が終わるか、分かりませんよ。癌を恐れていた人が、ある時、趣味のドライブで亡くなりました。先の事を余り思い煩うな。神は一番良い時に召して下さるという事でもあるでしょう。南風に倒されるか、北風に倒されるかの違いだけだというのです。

  次は4節。「風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない。」

  風向きや雲行きばかり気にしている人たちがいます。しかし暮らしというのは、最良の風を待っていては種蒔きも、刈り入れもできません。いい風を待っていると、蒔き時を逸してしまい、刈り入れ時を逸して農作物を腐らしてしまいます。

  これは本当です。いちいち小さい事を気にしていれば、大事なことが出来ません。目先の事にこだわると、大役も小さな役も担うことはできないでしょう。

  少年時代に、全国を巡る旅芝居が小屋掛けをして毎年小さな町にやって来ました。ある年、主役の女の子が風邪をひいたのです。休むかと思ったら、喉に白い包帯を巻いて、時々咳をしながら普段より低い嗄(か)れた声で舞台に立ったのです。ところがその白い包帯とかすれた嗄れた声で健気に熱演する主役に、客が感動して熱い涙を流すのです。小学2、3年の時ですが、芝居の一番大事なもの、その本質に触れた気がしました。風邪と熱が名演技を生んだのです。

  芝居の内容は覚えていませんが、少女は、「風向きを気にすれば種は蒔けない。雲行きを気にすれば刈り入れはできない」、この言葉を生きていたと言えます。

  4節は人生の事です。全ての人の生き方に示唆を与え、教会の在り方にも深い示唆を与えます。会社の営業マンもそうです。伝道も、雨雲、風向きを気にすれば活動できません。祈って、天候に左右されず、心を確かにして出かけるべきです。

  神に委ねなければならないのです。大きく委ね、大らかになる。すると案外雲行きなどどうでもよくなります。酷い雨だから収穫があるかも知れません。今、すべきことをすればいいのです。

         (つづく)

                                           2019年4月14日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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