水の上にパンを投げよ


              受難週の月曜日にノートルダムが炎上し70%が崩壊。
          5年で再建すると̄マクロンさんが宣言しましたが、そんな安っぽいものでなく、
      今後1000年に耐える文化的に価値あるものを再建するなら意味があるでしょう。
                   再建を大企業に任すのでなく、
  ノートルダムを見学したことがある世界中の人が自発的に献金し再建してはどうでしょう。
      そもそも私たちは、無料で、世界の至宝を見学させてもらい、ため息をつき、堪能したのですから。
                                              右端クリックで拡大
                                  ・

                                                 水の上にパンを投げよ (2)
                                                 コヘレト11章1-6節



                                 (1)
  さて今日の11章1節は、「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。」前の口語訳は、「あなたのパンを水の上に投げよ、多くの日の後、あなたはそれを得るから」となっていました。

  誰が一体、水に自分のパンを投げるでしょう。金魚や鯉に投げるのではありません。水に投げればパンはふやけてやがて正体をなくし、溶けてしまします。幾ら沢山水に投げても無駄になり徒労、骨折り損のくたびれ儲けです。1万円札を何万枚も太平洋の真ん中で撒くようなものです。

  ところがコヘレトは、後日「それを得る」と語るのです。言葉を換えれば、徒労に賭けよと言うのです。誰も徒労は嫌ですが、心して徒労に賭けるなら、やがて実を結んでいくと言うのです。

  先程の讃美歌566番はこれを歌います。イエスを知らない方が、この歌を聞いて、本当だと言われたことがありました。長い人生を通しこういう経験をなさった事があったのでしょう。

  この1節は、新約聖書パウロが十字架について述べて、「十字架の言葉は、滅んでいく者には愚かであるが、救われる私たちには、神の力である」と語ったことに通じます。彼はまた、「神は宣教という愚かな手段によって、信じる者を救おうとお考えになった」と語っています。

  一般の人からすれば、十字架の救いというのは愚の骨頂、全く馬鹿げています。その人たちからすれば、十字架を信じるなどとは水にパンを投げるようなものです。だが信じる者は十字架が救いであることを必ず見出すであろう。キリストの救いは、この世の知者には隠されているとパウロは語っています。

  コヘレトの言葉を取上げたのは、今の大山教会が置かれている状況を考えて、教会総会資料に引用したからです。徒労に掛けよう。後の日にその徒労が報われると聖書が語るのです。自分が生きている時に実現するか、死後に実現するか分かりません。だが多くの日の後、それを得るのです。教会だけでなく、私たち個人の生活でも、徒労に掛けるという意欲を捨ててしまっては高価なダイヤをゴミに出すようなものです。

  2節は、「7人と、8人とすら、分かち合っておけ、国にどのような災いが起こるか、分かったものではない」と語ります。

  アメリカ人はユーモアがあるようです。米国のある英訳聖書は1、2節をこう訳しています。斬新ですよ。「あなたのお金を外国貿易に投資しなさい。後日、それを取り戻すだろう。あちこちに分散して、7つ、8つに分けて投資しておけ、多くの所に投資する方がいい。どの国に災いが起こるか分かったものではないから。」斬新なうがった訳です。投資信託とか株をする方は成程とお思いでしょう。今から40年も前に出版され今も用いられている聖書ですが、リスクが少ない分散型投資の譬えをもって現代人に語りかけているのです。

  いずれにせよ、元の意味は、普段から多くの人と分かち合っておけ。孤立して生きるな。自分だけで完結するな。災いの日に備えてという意味でしょう。

         (つづく)

                                           2019年4月14日



                                           板橋大山教会  上垣勝



  ヤフーの板橋大山教会ホームページは、2019年3月31日で終了しました。

  後日、ホームぺー作成の予定。