あなたは用いられます


  アンブルサイドでタイ料理を食べました。私はもう行けませんが、あなたがもし行ったらぜひ食べて下さい。
                              安いが絶品です。
                           Jintana Thai Restaurant       右端クリックで拡大
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                                                  あなたは用いられる (下)
                                                  マタイ21章1-11節



                                (3)
  イエスは、背の低い子ロバを用いられるのです。「主がお入り用なのです」と言われたのです。これは私たちにも語られている言葉ではないでしょうか。主イエスは、皆さん、私たちを入り用とされるのです。真実な王なる方が、私たち個々人に呼びかけておられるのです。「主はあなたをお入用なのです。」

  子ロバはこれまで人を乗せたことがないロバです。まだ母ロバと一緒に繋がれていた未熟なロバです。だがイエスのために一度もお仕えしたことがない者をイエスは招かれます。あなたを必要としているとおっしゃる。神の国の御用のためにあなたを必要とされるのです。

  遠い昔の別の教会での話ですがショックなことがありました。ある日、Aさんが、一月前に96才で既に召されていたと知らされたのです。あの信仰深い、魂を込めて短歌を作ったAさんが召され、Aさんは教会での葬儀を強く望んで葬儀費用を預けておられたのに、ご家族は、Aさんが教会での葬儀をしない道を選んだかのようにメールで知らせて来て、それゆえ預けた費用を下に記した銀行口座に振り込んで欲しいと書いて来たのです。これまで一度もメールを貰ったことがなかった人です。

  その数年前からAさんと教会が接触するのを渋って来られたのは、接触を続けると自分たちの思い通りにならないと思ったからだったのだとその時、すっかり理解しました。誰かを悪く言いたくありませんし、こんな現実に接したくはありませんが、実に悲しい世の現実を見せられました。しかしAさんの信仰は本物でしたし、Aさんと私たち、私たちとAさんの心は一体でしたから大変な驚きでした。

  人として最も基本的なことはお金の問題ではありません。人としての信頼の問題、信義があるかどうかの問題であり、愛の問題です。家族は信頼と愛の共同体でなければならない。そう思います。だからこそ、教会との接触を妨げられ、最後の意志も巧妙に変えさせられて、どんなにAさんは悔しかったか…。讃美歌313番に、「愛するイエス、何をなされて、こんな裁き受けられたのか、どんな罪を犯されたのか。愛する主は。ムチ打たれ、茨の冠、かぶせられ蔑まれて。酸いぶどう酒、十字架の上で、口にされた。これほどの痛み苦しみ、何のために受けられたか……」とあります。イエスがAさんとダブります。

  何ものも私たちと主を引き離すことは出来ません。誰かが引き離そうとしても、私たちの魂や人格をキリストから引き離せません。そんな事をすれば死者が叫ぶでしょう。

  Aさんは、「私の主はキリストである」と、「私の魂の王はキリストだ」と確信しておられ、頭脳明晰なAさんは私たちの前で、そう祈っておられました。私は、Aさんも、「主がお入り用なのです」という言葉に応えて、あの小柄な体でいわばイエスを運ぶ子ロバになって生きて行かれたと思います。家族には阻まれましたが、しかしキリストと彼女を誰も引き離すことは出来ないと、私は明言致します。その他にも色々醜い事を見せつけられ、Aさんが気の毒で、私はその週の講壇に、黒の式服、黒のネクタイ、黒の靴下を履いて喪の姿で立ちました。Aさんの鬱屈させられた悲しみ(相思相愛のご主人の墓にも入れられず、献体させられて、その大学病院の納骨堂に入れられるという)を思えば、お葬式の出で立ちで立たざるを得なかったのです。

  この家庭の事だけを取って日本人全体に一般化できませんが、同質化を力で求める傾向があるこの国にあって、これに似たことを経験するにつけ、日本人は本当に人の人格や魂の尊厳を大事にしているのかと疑問に思うことがしばしあります。人権に敏感であるという事は、自分だけでなく他者の人権にも敏感でなければ人権を尊ぶという事にはなりません。また人権を尊ぶとは、人の魂の尊厳を尊ぶことと同じであることが気づかれていないようなのです。

  いずれにしましても、イエスは子ロバをほどいて連れて来るようにと言われ、「主がお入り用なのです」と言われました。

  イエスは私たちをお用い下さるのです。一介の愚かな子ロバのような者ですが、でも世の救いという大事なお役のために私たちを、用いたいとおっしゃるのです。あなた方には私がついているから、恐れず、主の栄光のために生き、従うように招かれるのです。

  ヨブ記のヨブは、サタンによって、10人の子どもたちと財産をすっかり取られます。それでもヨブは、神を非難することなく、罪を犯さなかったとあります。彼は信仰からそれないのです。それを見たサタンは、次にヨブを酷い皮膚病にかからせ、頭の先から足の裏まで健やかな所がないまでに醜くします。彼は灰の中に座り、「素焼きのかけらで、体中をかきむしった」のです。血が出ても出るにまかせて掻きむしったでしょう。それを見た妻は、「いつまで無垢であろうとするのですか。神を呪って死になさい」と責めます。だが彼は、「お前まで愚かなことを言うのか。私たちは、神から幸福を頂いたのだから、不幸も頂こうではないか」と語って――妻を愛していたからこう語ったのです――、ここに至っても罪を犯さなかったのです。

  彼もまた「神が用いられた人」です。彼は神を畏れ、悪を避けた、強い信仰深い人です。ただ、そういう人だけでなく、イエス・キリストはつまらぬロバの子を用いられる事を覚えたいと思います。たとえ首相や社長に用いられても、誰に用いられても、やがてはそれも跡かたもなく消えてしまいます。無に帰します。しかし神の国のためにキリストに用いられることは、永遠に消えることがない誉です。神の掌に記され、神のもとで永遠に朽ちぬ宝として記されるでしょう。「善かつ忠なる僕、よくやった」と。

  新年度になりました。イエスはこの年、私たちを用いようとしておられることを覚えて行きましょう。


         (完)

                                           2019年4月7日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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