磔(はりつけ)にされる十字架を背負って歩く


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                                                  あなたは用いられる (上)
                                                  マタイ21章1-11節


                                (1)
  今日の個所は、少々気が早いですが、普通は棕櫚の主日である来週に読まれる聖書ですが、一週早く学んで来週を迎えたいと思います。

  「一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた…」とありました。ここにイエス様のエルサレム入場が語られます。

  エルサレム入場は4福音書全てに記されているのは、この個所がイエスはどういう方かを知る上で不可欠な出来事だからです。その人なり、そのメッセージなどが凝縮されています。

  時期は過越し祭で、エルサレムには100万人、いやある説では200数十万人が、周辺の町々のみならず遠くはエジプト、トルコ、ギリシャ、ローマ、またイラクやイラン辺りから巡礼で訪れ、町は群衆でごった返しました。その都にイエスはロバの子に乗って入場されたのです。今日の所で「大群衆が」とか「都中の者が」とあるのはこの大群衆です。

  しかしここにあるのは低く卑しくなられたキリスト。やがて5日後の金曜日には十字架を負わされ、重い足取りで進むキリスト。嘲られ、唾をかけられ、いわば世界の一番しんがりから十字架を負ってその十字架に磔にされるキリストを予告する出来事です。

  世には色々苦労をして、あえぎつつ生きている方がおられます。なぜこんな不幸を経験しなければならないのか。どうして自分だけが、こんな目に遭わねばならないのかと自問自答している方もあります。大都会にも田舎にもあり、若者の間にも、大人の人々の間にもある。十字架が意味するのは、イエスがその方の傍らでその人と共に重荷を負って歩いておれられことです。その人を支えるために、その人の後から、その人以上に酷く重い、自分が磔にされる十字架を担って歩いておられるのです。今日の個所はそういうイエスを予告するような出来事です。

  イエスと12弟子は、エルサレムに近づき、「オリーブ山沿いのベトファゲに来」ました。この村は、世界最古の町であるエリコの町からオリーブ山の坂道を上ってベタニア村に着き、更に山を巻いて進んだ所にある村です。イエスが今、目指しているのは、このベトファゲ村の北側から急坂を下って一旦谷底に降り、今度は前方の山を登って入場しようとしておられるエルサレムの都でした。エルサレムが山の上の町と言われるのは山上にあるからです。

  イエスは村の手前で、2人の弟子たちを使いに出そうとして、「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もしだれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる」と言われたのです。

  マタイ福音書はロバと子ロバが繋がれていると書いていまが、他の3つの福音書には子ロバしか出て来ません。実際はどうだったか今では分かりませんが、マタイは、母ロバと子ロバが引いて来られたが、安定して乗りやすい母ロバでなく、まだ誰も乗ったことにない子ロバを、敢えて選んで乗られた事を強調し、イエスはロバの子を聖なる目的のためにお用いになった事と、イエスの行為はゼカリヤ書の預言の成就と見るためです。

         (つづく)

                                           2019年4月7日



                                           板橋大山教会  上垣勝



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