命の言葉を語れとは


   ポターが愛した散歩道。イギリスはどこに行っても牧場や農場を取り囲む茨の垣根が茂っています。
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                                               荒波を越えて行く (上)
                                               使徒言行録5章27-42節


                                 (序)
  先ず、先週の個所から今日の個所に至るまでの経過をお話しますと、アナニアとサフィラの事件後も、弟子たちの活動はますます活発になり、聖霊に満たされて、彼らの手によって癒しも行われました。民衆は、イエスの福音を好意を持って受け入れ、エルサレムユダヤ人の間に浸透して行ったのです。

  だがそれを知ったユダヤ教の最高位の大祭司、日本的に言えば大僧正ですが、他の指導者たちと共に、憎悪と嫉妬の念に激しく駆られて使徒たちを逮捕しました。恐らく12使徒全員が逮捕されたでしょう。彼らを消せば、福音の息の根を止めることが出来ると考えたのです。

  これはイエスの死後、始めて使徒全員に降りかかった苦難です。いつかは来るとは覚悟していたでしょうが、ここに弾圧が襲いかかったのです。

  使徒たちは公の牢に投獄されました。ところが、神の使いが牢の戸を開け、彼らを外に連れ出して、「神殿の境内に行って、この命の言葉を残らず語れ」と命じたと語ります。ここでも明瞭なのは、彼らへの裁きの言葉や敵対的な言葉でなく、彼らを含めたすべての人への命の言葉、喜ばしい福音を語れということです。

  これは、イエスを十字架に付けよと付和雷同して叫んだが、やがて後悔した民衆にはまたとない赦しの言葉になったでしょう。また、イエスの死を悲しんで処刑場にいた民衆には、慰めと励ましの言葉となったでしょう。いずれにせよ、神による罪からの解放の言葉、釈放と自由を告げる喜ばしい福音ですが、その福音を残らず語れ、ことごとく語れと命じられて語ったのです。彼らは、早朝に境内に入って、神殿を訪れる信仰深いユダヤ人たちに語ったのです。

  「主の天使が牢の戸を開く」というのは、どういうことでしょう。実に不思議なことが起こったという事ですが、実際には、官憲側に密かに弟子に味方する者がいて、大胆にも牢の戸を開けて連れ出したのでしょうか。真相は分かりません。

  一方、大祭司たちは朝になり、最高法院=サンヒドリンを招集し、使徒たちを連れ出し裁くために牢屋に人を差し向けました。だが牢屋は空っぽ。誰もいないわけで、皆、驚いて牢の中を見まわし、慌てて戻って報告したのです。

  そこに別の人が飛び込んで来て、昨夜牢屋にぶち込んだ者どもが、早朝から境内で民衆に教えていますと息せき切って告げたのです。

  神殿守衛長は血相を変えて境内に駆け出したでしょう。彼は神殿の警察署長です。使徒たちを捕まえると、議会に連行しました。ただ民衆を恐れて乱暴はせずに、引っ張って来ました。民衆は使徒たちに好意を持っていたので、手荒にすれば投石される恐れがあったからです。

       (つづく)
                                           2019年3月31日



                                           板橋大山教会  上垣勝



  ヤフーのホームページは、2019年3月31日で終了。

  そのうちにホームぺー作成の予定。


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