こころの低い驕らぬ人たち


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                                                  神を欺く (下)
                                                  使徒言行録5章1-11節



                                 (3)
  私たちにとって大事なのは、神さまに仕えることです。初代教会の信じた人々の群れは、神にお仕えすることを一番喜ばしい事として生きたのです。神に用いられる。用いられる仕事の大小は関係がありません。大小に関係なく、自分が置かれた所で力を尽くして生きる。野の花のように、置かれた所で精一杯活き活き努力して生きる。それを喜びとしたのです。偽る必要はないのです。驕る必要はないのです。

  今の時代は、あちこちで、大きなことが良い事だという風潮があります。再び土地のバブルが始まっているようです。暫く前に出た土地の路線価を見ると、この辺で去年より6%値上がりしています。銀座4丁目当たりは1㎡当り5千万円です。この講壇よりちょっと広い場所が5千万円。ダイヤが一杯散りばめられているのでしょう。狂っています。土地バブルも問題ですが、大きなことがいいという風潮は怖いです。その風潮に流されてはなりません。自覚しないと流されがちになります。だが大観衆を集めようが、大群衆に取り囲まれようが、大量動員してライブをしようが、莫大な財産を築こうが、それが何というのでしょう。幸福とは違ったものです。そんなもので人の価値は測れません。

  国連が発表した19年の幸福度調査では、日本は更にランキングを下げて58位に落ちました。58位、先進7か国で最下位です。日本の景気や経済水準は、世界で見れば決して58位の悪さではありません。しかし幸福度は極端に低い。

  ここには、余りにも吊り上がった「大きい事への期待」、大きくなければダメ、上位でなければダメ、一番にならなければダメ、大群衆、大観衆を集めなければダメ、教会でも大きくなければダメという価値観の異常な高騰がある気がします。だが一般大衆、私たち庶民の現実は、この価値観と比較すると低く、卑小で、惨めなのです。これでは幸福度は低くなります。この価値観に殺られますと、自分はダメだと悲観して、気が重くなり、若者も中年も引きこもらないとも限りません。日本人は特に人と比較する民族性を持ちますから、そうなりがちです。

  これでは、アナニアとサフィラのような偽りやごまかし、人を欺くことが起こりかねません。今、社会で起こっている様々な問題の根底にこの欺きや偽証がありはしないでしょうか。それは自分を欺き、更には神を欺くこととも関係して行きます。

  だが初代教会に集まった群れは、「わたしには金銀はない。だが、ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩く」人たちでした。彼らは別に金銀のある豊かな人たちではありません。むしろ、いと小さい人たちです。色々な障害や不具合を持って人生をうまく歩けなくなっていた人たちでしたが、「金銀はないが、キリストの名によって」、思い切って歩き始めた人たちで、心の低い、驕らぬ人たちでした。

  しかしアナニアとサフィラは、キリストの名によってではなく、自分たちの才覚で歩き、悪知恵で歩こうとしたのです。それがごまかしになり、偽りになり、神への欺きになってしまった。これは私たちへの警告であり、また今日の社会への警告でもあると言えるのではないでしょうか。

         (完)

                                          2019年3月24日



                                            板橋大山教会  上垣勝



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