神を欺く


     ポターの散歩道は荒涼とした荒蕪地を横切っていました。彼ら夫婦はこの地を愛したのです。
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                                                  神を欺く (中)
                                                  使徒言行録5章1-11節



                                 (2)
  さて、アナニアは妻のサフィラと相談して土地を売り、代金の一部を隠しておいて、「これが土地代金の全てです。私たちは土地の代金を全額教会にお献げ致します」と言って、使徒たちの足元に置いたようです。正直であればいいのに、偽ったのです。

  4節でペトロが言うように、「売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか。」パウロが言ったのはもっともその通りです。売らなくてもよかったし、売っても、「代金をすっかりお捧げします」などと、嘘を吐く必要はないのです。だが見栄の為でしょうか、背伸びしたのでしょうか。教会に中で見上げた重要人物として尊重されたかったのでしょうか。皆の目をごまかそうと、私たちは全額お捧げしますと持って来た。

  するとペトロは、「どうして、こんなことをする気になったのか。あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて…ごまかしたのか」と言っています。魔がさしたのでしょうか。実にかわいそうな人たちで、気の毒に思います。

  それでペトロは、「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」と、真実をズバッと告げました。それを聞くと、「アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った」というのです。

  心臓発作でも起こしたのでしょうか。また妻のサフィラが夫の死を知らずに戻って来て、ペトロに聞かれ、やはり夫と同様に答えたので、ペトロは、「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか……」と語ったところ、サフィラも心臓発作でしょうか、そこに倒れて息を引き取ったというのです。考えられぬほど恐ろしい事件です。

  むろんこれは、ペトロの言葉が殺した訳ではないし、教会が殺した訳でもありません。罪を指摘されて、ショックだったとはいえ、いわゆる「身から出た錆」とはこのことです。彼らは自分自身を欺き、良心を偽ってしまった。良心を放棄してしまった所に原因があったと言うべきでしょう。

  それにしても、「神を欺く」とは何と深い心の闇でしょう。そんな事をする必要な少しもなかったのに、まさにサタンに唆されてそういう事をしてしまった。「二人で示し合わせて」とありますから、夫婦揃って自覚的にそうしたのです。先日のアダムとエバの事を思い出すと、男と女にはこういう悪い響き合いもあります。

  神を欺く。これは友人を裏切ることや、家族や両親を裏切ることと同じ。いや、それ以上に、自分を生かしめる根源的なお方に対する背反であり、魂の腐敗とも言うべきものです。

  だが彼らは神を本当に欺けたでしょうか。いや、ペトロでさえ彼らの欺きを見破ったのですから、ましてや人間は神を決して欺くことは出来ません。神は、欺く者の欺きを、その心の底から見ておられます。先程申しましたが、彼らは自分自身を欺き、自分の良心を欺き、自分が自分であることを放棄してしまったのです。その結果が、大変不幸ですが、この死であったと言えるのではないでしょうか。

  イエス様がマタイ12章で、「人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦されるが、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない」と言われました。2人は聖霊に逆らい、神を欺いてしまったのです。

         (つづく)

                                          2019年3月24日



                                            板橋大山教会  上垣勝



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