思い切って生きる


                              ポターの散歩道
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                                                思い切って生きよう (1)
                                                使徒言行録4章23-31節




                                 (1)
  今日の個所はこれまでの続きです。生まれつき足のきかない男がイエスの名によって癒された事で、ペトロとヨハネが逮捕され投獄されました。翌日、錚々たるメンバーがお詰まる最高議会の厳しい審問に掛けられましたが、委縮するかと思いきや、ガリラヤの漁師で無学な普通の人である彼らが、聖霊に満たされて、「この人が癒されたのは、あなた方が十字架に付けて殺したイエス・キリストの名によるものです。他の誰によっても救いは来ません。救われるべき名は、天下にこの名の他、人間には与えられていないのです」と、傍聴席かどこかにいた癒された男を指さして、堂々と証ししたのです。

  この言葉に議会は驚き、返答に窮した長老や議員、祭司長らは、2人を退席させ、彼らが行った目覚ましいことは既にエルサレム中に公になり、誰も否定できない状況なので、これ以上民衆に教えが広まらぬように、「今後あの名によって誰にも話すなと脅しておこう」と決め、2人を再度議場に引き出し厳しく命じたのです。厳命を下せば委縮して、以後は控えめになるだろうと考えたからです。

  ところが脅しにも拘わらず、2人は、「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです」と、再び堂々と陳述したのです。実際あった事、見聞きした事。事実を事実としてごまかさず生きること以上に強いものはありません。長老や議員たちにしてみれば、何を血迷ったことをぬかすかという事でしょうが、2人は少しもひるまず、思い切って語ったのです。

  イエス様がかつて弟子たちに、会堂や牢に引き渡され、王や総督の前に立たされても、「人を恐れてはならない」と語られ、「覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので、知られずに済むものはない。」必ず隠されているものは明るみにされると語り、真理はおのずと現れ出ると語られ、「私が暗闇であなた方に言うことを、明るみで言え。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めよ」と、大胆であることを命じられ、「体を殺しても、魂を殺すことが出来ない者どもを恐れるな。体も魂も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れよ」と励まされました。

  弟子たちはペンテコステ後、今や、イエスが語られたような信仰者として、徐々に造り替えられて歴史の中に登場して来たのです。世界の歴史の中に、新しい神の民、イエスのみ言葉を思い切って生きる民が現れて来たのです。人生を思い切って生きる。真実に思い切って生きる人々です。魂の尊厳、魂の自由。聖霊は彼らを喜びの内に自由にしたのです。

  議会は民衆を恐れて為すすべを知らず、彼らをただ、「更に脅してから釈放した」のです。脅ししか打つ手がなかったのです。

  2人が釈放されると、仲間の所に戻って議会での様子をつぶさに報告しました。すると、聞いた人たちは心を一つにして神に向かい、声を張り上げて祈ったのです。

                                (2)
  キリスト教徒は祈る民です。祈りこそが大きな力を持っているのです。祈りを忘れたクリスチャンは、もはや気の抜けたビール、歌を忘れたカナリアのようです。


        (つづく)

                                             2019年3月17日



                                             板橋大山教会  上垣勝




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