命より大切なものを知る


             リスボンで連れ立ってファドを演奏するレストランに行きました。  右端クリックで拡大       
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                                              地上の全民族が祝福される (下)
                                              使徒言行録3章11‐26節


                                 (3)
  先週紹介しましたドイツのメルケル首相の講演を読みますと、いかに自国の加害の罪をごまかさないか。たじろぎそうな自国の罪の前に、目を逸らさず立ち続けているのを見て、胸が熱くなりました。この方の強さはやはり物理科学者らしくごまかしのない所にあると思いました。「私たちはナチズムと第2次世界大戦における大きな罪を背負い込んでしまった」と、罪を正面から受け止めて、ドイツを取り巻く国々と積極的に関係を結んでいこうとしている事が分かります。

  日本も、もしメルケル首相がするような仕方で、自国の罪に正直になって韓国、中国、ロシアなどと接すれば、この東アジアは随分と様子が違って来るのでないか。本当の信頼関係が築けるのでないかと思います。

  メルケルさんは、何千年ものユダヤ人の歴史に触れて、「この民族(ユダヤ人)は常に神が歴史の本来の主であるという信仰の掟を守り続けた。そして、世界史における無意味に思えるような混乱の中にも、神は約束を守られ自分の民を忘れはしない、と信じた」と語っています。キリスト教は無論ユダヤ教とは全く違いますが、旧約聖書からこういう最良のものを継承すべきでしょう。

  世界史を見れば、「まるでジャングルのように見通しの聞かない」時代がしばしば登場しました。大量虐殺・ホロコーストのようなことが起こり、自国がそれに手を染めるという事が起こります。それでも自分をごまかさない。また国が混乱して闇に覆われても、「神が歴史の本来の主である」と堅く信じ、ただ神の栄光のために生きて行く。そこに骨太の生き方が現れるでしょう。

  政治家について、こんなことも語っていました。「神を信じる人間として、全能者でありたいという欲望に決して陥ったりすることなく、自分が引き受ける課題の中に『ヘリくだり』も含まれているというのは、政治の世界ではとりわけ重要なことだと思います。それによって私たちキリスト者は明らかに、自分の力によって地上に繁栄をもたらすことが出来ると信じる人たちとは違っています。」アーメン、ですね。

  「自分の力によって地上に繁栄をもたらすことが出来る。」それは傲慢です。そのような傲慢は、色々の数値を自分に有利になるように操作したり、事実を隠蔽するような姑息な所に必ず行くでしょう。それは、真の主を恐れぬことから必然的に生まれる罪です。

  今日は時間の関係で、「すべての民族が祝福される」という後半まで行けません。また別の機会に取上げましょう。

  それで最後に、先ほどの子どもたちへのメッセージでお話しくださったことに触れて話を終わります。先程のお話で、星野富弘さんの「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」という言葉がありました。子どもへのメッセージでしたから、じゃあ、命より大切なものとは何か、抽象的に言っても通じませんから、それはサッと通り過ぎられました。しかし私たちは大人です。じゃあ、命より大切なものとは何でしょう。

  あの言葉は、星野さんが紫のオダマキの花を描いた所に書かれた言葉です。そう考えると、花は命より大切なものを知っているから、力一杯咲き、生きているのが嬉しいのでしょう。そして萎れることも、枯れることも恐れないのです。死ぬことすら恐れないのです。

  命より大切なものがあると知っているとは、自分をここに存在せしめ、この所に花咲かしめ、生かして下さっている方があると知っているという事です。だから思い煩わない。イエスは、「野の花を見よ」と言われましたが、花が明日の事を思い煩わず、今日を力一杯生きる。それは命より大切なものがおられるからに違いありません。

  メルケルさんは、神が人間の尊厳を授けられたと語ります。それは聖書が語る所ですが、キリスト者は神を知るから、自分はこれをした、何をしたと言って誇らない。むしろ「へりくだり」、神の前に謙遜になる。この謙遜と「命より大切なものがある」ことを知る事とは、実は同じところに源を発しています。

  人間の尊厳。それを知る時に嬉しくなり、喜びが授けられ、生きる意味が生まれ、勇気が湧き、自由が授けられる。それは命よりも大切な方が私に命を与えて下さったことを知るからです。人間は誰しも、この喜びに向かって造られたのです。

          (完)



                                             板橋大山教会  上垣勝




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