喜び踊る胎児


      ホテルの部屋に入るとチェリー酒が待っていました。ここのは特別においしいものでした。
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                                                   喜び踊る胎児 (下)
                                                   ルカ1章39-45節



                                 (2)
  以上がこの個所のあらましですが、私たちはここから2つの事を教えられます。

  先ず1つは、マリアとエリサベトという、かなり年齢が違う、また生活環境も異なる女性たちの出会いです。先ほども触れましたが、マリアに不安がない訳ではなかったでしょう。というのは、ヨセフと婚約中に、他の男性と関係がないのに身ごもったということを、婚約者に、また世間にどう説明すればいいのか。こうした場合、女性は大抵、石打の刑で処刑されました。石打にされなくても、世間から白眼視されてどう乗り越えればいいでしょう。それが最大の難関でした。

  マリアはエリサベトの理解と支援を得てこの試練を乗り越えようとしたでしょう。言葉を変えていえば、神はマリアを励ますために、エリサベトがすでに聖霊によって身籠っていると個人情報を漏らしたのです。それがよかったのです。

  マリアはエリサベトに会って、改めて強く支えられたでしょうし、エリサベトの方も、若いマリアが、「お言葉通りこの身になりますように」と語って、素直に、大胆に信仰を表わし、神に服従して行ったのを知って、大いに励まされた筈です。

  今、私が申しあげようとしているのは、彼らはお互いに出会うことによって、2人とも神への信頼が更に固められたことです。相互に信仰が固められた。このように信仰者同士の互いの信仰が固くされるように励まし支援することが、私たち兄弟姉妹の務めであり、役割であるということです。一般化して言えば、世にある私たちが相互に励まし支え合うことが人間として貴い事だという事です。これは大変具体的なメッセージです。

  もし独りなら、マリアは何ものかの餌食になったかも知れません。たとえ餌食にならなくても、マリアもエリサベトも寂しく孤独な期間を耐え抜かなければならなかったでしょうが、2人が出会うことによって、年配の女性が若い女性を励ましましたし、年配の女性も若い女性から励まされて、お互いに自分の十字架を担って、それを乗り越えて行けたのです。

  このように、若者と年配者、あるいは若者と老人。異質な者同士、世代を超えての支え合いは極めて重要です。今日でも若者たちと年配の者たちの、年齢を越え、考えや発想の違いを越えた互いの支え合いを創り出すことが大事だと思います。若い人がお年寄りに一方的に世話をするのではなく、お年寄りが若い人に一方的に教えるというのでもない社会です。そのためには、違いや立場が異なる者たちの信頼関係の構築、信頼関係を創り出すことが大変重要になります。意見が違っても聞く耳を持つことは、どんなに強調しても強調し過ぎることはないでしょう。頭から否定するのはどちらもやめて、とにかく聞こうとする事でしょう。

  むろん年齢のギャップは身体的にも、精神的にも理解し難く、越えがたいものがありますが、その違いは実は豊かさです。異質な者との出会いが豊かさを生むのです。経験や考えが異なる方が、全体的には豊かさとなるでしょう。私たちの所に孫が毎日のようにやって来ます。すると思わぬことを言って私たちを驚かしたり、笑わせたり、世界を広げてくれます。また先週は教会学校のある子が4日間来ていました。すると障害を持ったりそうでなかったり、色々な人がいて、新しい発見をして楽しく過ごしました。その子も普段と違って明るく帰宅したそうです。違いは豊かさなのです。

  エリサベトは、「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう」と語りました。私は何と幸いな女でしょうと年齢にこだわらず喜び祝ったのです。エリサベトに微塵も妬みも感じられません。彼女自身も何の心の隔てもなく、若い女性のようにマリアに接しています。

  老若(ろうにゃく)を越えた人間同士の信頼のきずながここにあります。兄弟愛。姉妹愛ともいうべき親しい愛の関係です。英語でフラタニティと言います。兄弟愛、友愛と訳されます。

  この兄弟愛、友愛によって心が響き合った時、マリアの中から、46節以下の清い魂があふれ出たような「マリアの賛歌」がほとばしり出たのです。マグニフィカートと言われる預言的でもある素晴らしい歌です。

  このクリスマスに、ローマ法王バチカン広場でメッセージを語って、「今年のクリスマスの、私の願いは友愛です」と話していました。また、向こうの新聞には、「友愛の意識を失っているが、全ての人は主の聖徒たちの一部である」とも語ったと書かれていました。どういう意味でしょう。人類は皆、神の目からすれば主の聖徒たちであるが、残念ながら、今はまだ神を知らず友愛の意識を持っていない人たちがいる。だがこの人たちも神の聖徒だということでしょうか。

  またこういう事も話しました。国や文化の違い、思想の違い、宗教間の違いなど、色々な違いがあるが、「これらの違いは危険でも不利益でもなく、豊かさが生まれる源である。」ヨーロッパですから、これは当然、今最もホットな課題、イスラムキリスト教の事を指しているのでしょう。言葉ではイスラムとか言いませんでしたが、当然その意味です。

  本当にそう思います。今こそ、世界には兄弟愛、友愛の回復が必要です。キリストはそれをもたらされました。イエスがその隔ての中垣を取り払うために来られたのです。もし来られなければ、友愛とか、兄弟愛とかは大きく語られることはなかったでしょう。

  競争でなく協力によって未来を作らなければなりません。オリンピックがあるというので、「おもてなし」がよく言われますが、下心あるおもてなしではいけません。友愛です。おもてなしのキャッチフレーズは、金儲けの下心をもってするのでなく、損得勘定抜きの兄弟愛をもってすべきです。去年、今年と余りにも世界に分断がはびこってしまいました。これ以上友愛が失われると世界はとんでもない場所になるでしょう。安心して住めなくなるでしょう。

  例えISイスラム国が問題であるにしても、ISを生む世界の情勢が背景に横たわっています。それが本来の人類の敵でしょう。競争と貪欲、飽くなき貪欲。友愛や分かち合いを忘れて、自由主義経済の中で育まれた汚れた貪欲なスピリット。その肥大化。それこそが本来向かわなければならない私たちの敵ではないでしょうか。

  話は変わりますが、今から100年程前に、リビングストンの弟子のスタンレーという人が、この人も有名な人ですが、アフリカのビクトリア湖を通って大陸を東から西に初の横断をしました。好戦的な諸部族に次々と出会いながら、困難を乗り越えて進んで行きます。好戦的に立ち向かって来る者にこちらも戦いの気配を少しでも見せれば、向こうは皆殺しの手を打ってくるかも知れません。

  テレビなどで凄い冒険野郎などと称して放映されますが、今から100年前、あるいは800年前、あるいは紀元前のものなどを読んでいると、本当に凄いです。テレビなどが絶叫して叫んでも子供だましのようなもので比較になりません。

  スタンレーはある日、ジャングルにいましたが、そこで無数のアリたちを目にします。ほんとにアフリカではそんなに種類が多いのかと驚きますが、黒、赤、白、黄、灰、まだらなど色とりどりのアリの大群が懸命に戦ったり、守ったり、餌を運んだりしている姿を目にします。また無数のシロアリが動物も植物もあらゆるものを食い荒らして進んでいます。彼らは互いにアリ同士です。同族です。だが、信頼関係も友愛関係もなく、ただ食うか食われるか戦いしか知りません。相手を潰すことだけです。それを眺めながらスタンレーは、これは実に人間の姿だと思うのです。

  もし違いを越えて信頼し、和解し合い、協力して生きるのでなく、戦ってばかりいては人間は獣やアリ同然になるでしょう。

  脱線しましたが、マリアとエリサベトの違いを越えた友愛、信頼関係、協力は、今日(こんにち)の私たちに数々の事を教えてくれます。

                                 (3)
  そしてもう一つ。ヨハネはまだ胎児であるのに喜び踊ったというのです。ヨハネは胎内ですでにキリストを待っていたのです。彼は生まれる前から待つ人であった。

  これも深く教えられる事です。2018年が終わろうとして新しい年を待っています。新しい年はどういう年になるでしょう。猪突猛進で良い方へ向かうでしょうか。悪い方へ猪突猛進していくのでしょうか。

  ヨハネは胎内ですでにキリストを待つ人でした。私たちも新しい年を迎えるにあたって、キリストを待つ人。神の国を待つ人、真理を待つ人であろうではありませんか。新しい年がどんな年になろうとも、キリストから目を離さず、目を神の希望の光に向ける人になることです。キリストを待つ人です。

  人はキリストを忘れて、猪突猛進的に欲望的になると必ず貧しい人たちを忘れ、弱い人を忘れ、高慢になり享楽的になります。それは世界を破壊へと向かわせるでしょう。しかし人類に明るい希望をもたらすお方を待ち望んで行くなら、享楽でなく、喜びと平和が生まれるでしょう。

  2018年の最後の日曜日。兄弟愛、友愛に生きるとはどういう事か。人類に希望をもたらすお方を待つ人になる事。この2つの事を教えられました。祈りましょう。

     (完)
                        ――皆さま、よいお年を!――

                                                2018年12月30日



                                                板橋大山教会  上垣勝


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