日本人が知らない新しい日本


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                                                  勇気ある女性 (1)
                                                  ルカ1章26-38節



                                 (1)
  今日は乙女マリアの事から、聖書が語る福音を聞きたいと思います。

  ヨーロッパに行くとあちこちの教会にマリア像があります。プロテスタント教会にはありませんが、カトリック教会の中には、イエスよりマリアの方が祭壇の中央に配置されて、しかも豪華な宝石類で飾られているマリア像がありますから、教会というのはマリア様が中心なのかと、聖書を良く知る人は戸惑いを覚えます。

  今日の聖書にありましたように、マリアはガリラヤのナザレに住む、名も知れぬ貧しい若い女性です。ヨセフと婚約中ですが、46節以下のマリアが歌った賛歌に、その魂は「主をあがめる、身分の低い、主のはしため」とあるように、主の僕、「身分の低い」下女、小間使いでした。古くからの伝承では彼女はみなしごで、あちこちの家で小間使いとして日銭を稼いて生きていた女性です。今の派遣労働者やバイトよりももっと不安定な身分でしょう。

  私たちがもしそんな状態にあれば、どんな思いで生活するでしょうか。想像してみてください。卑屈になったり、ひねくれたりするかも知れません。それを苦にして、引きこもりになる人だっているでしょう。

  彼女は、「思いあがる者」や「権力ある者」に属さず、そういう所に駆け上がろうとも摺り寄ろうとも思わない人で、「飢えた者」、「空腹な者」に属する女性である事が分かります。即ち乙女マリアは、空腹を知り、世の悲しみを知り、涙を知る女性で、人の親切や愛の貴さを誰よりもよく知る若い女性でした。

  私は時々、人間とは何者だろうと思います。数年前に日本に亡命して来たアフリカの女性がいました。大山教会に出席したことがあります。村人や家族がキリスト教だというだけで迫害され、殺害されて、ほぼ何も持たずに飛行機のチケットを手に入れて日本に来たのです。

  日本政府は彼女に亡命を認めたかどうかは知りません。しかし彼女は何人かと、東南アジアの貧しい人たちを支援するNPOを暫く前に立ち上げたのを知って驚きました。そういう魂、意志力を持っているのです。飢えと貧しさ、迫害の辛さを知るゆえに、そういう状況に置かれた人たちを支援することに身を投じているのです。日本人が知らない世界がどんどん日本に入って来ていて、時代は日本人自身が知るよりドンドン先に進んでいます。

  一体人間とは何ものでしょう。ぬくぬくした環境で、一生を安泰に送ることだけが人生なのでしょうか。色々と考えさせられます。

  いずれにしろ、マリアは空腹と悲しみと涙を、人の愛の大切さを知る女性でした。そしてもう一つの特徴は、その魂は、「主をあがめる」女性でした。それが46節以下などから分かります。

        (つづく)

                                                     2018年12月23日



                                              板橋大山教会  上垣勝





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