秋篠宮の魂の叫び


                  素晴らしいイングリッシュ・ローズ?の香りが漂って来ました。
                    花の名をご存知の方はお教えください。待っています。
                                              右端クリックで拡大  
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                                                み子は来たる (下)
                                                ルカ21章29‐36節



                                 (3)
  今、私は、34節以下を個人の問題でお話ししました。しかし次に、社会や世界、人類の問題として考えてみたいと思います。

  世界中で地球環境の悪化が報告されています。今週はCOP24という国連気候変動の会議がポーランドであります。今年は考え難いほどの酷暑が続きました。2年後のオリンピックはどうなるか、来年夏の気温にかかっているでしょう。もし今年より深刻になれば果たしてどうなるでしょう。今年はまた集中豪雨で洪水が異常に発生しました。私たちの教会は北海道と西日本の災害に合われた方々を支援しました。外国では山火事が多発しました。再び飢餓も起こっています。環境の劣化でなく重大な危機が訪れているかも知れません。

  その背後に、資本主義経済の暴走があると言われます。その暴走が地球環境を破壊していくのです。経済の暴走と共に、拝金主義がまかり通り、物質主義が蔓延して物を神とする物神信仰もまかり通って来ました。しかもできるだけ批判を浴びないように、優美に美しく飾り立てられて登場しています。イエスは、富と神とに兼ね仕えることはできないと言われましたが、富に仕える人々です。私たちも知らず知らずかなり富に仕えているかも知れません。

  資本主義経済は絶えず成長するのが前提ですから、地球資源や地球環境を食いつぶしていき、生物たちへの配慮も欠いて行きます。弱い人間も食いつぶします。できるだけ低賃金で、低コストで物を生産し、競争に勝っていかなければならない世界です。貧しい人たちを低賃金で雇って行きます。人間を雇うという意識より、人材、人的資材、「もの」を仕入れるという意識です。

  起こっているのは愛の喪失です。自己愛は肥大化し、隣人愛が小さくなる。

  激しさを増す国際的な経済競争の中で、いと小さい者たちへの配慮が欠けて行くのです。雑になるのです。放縦や深酒ではないかも知れませんが、経済競争の明日の思い煩いのため、環境に対する配慮を欠き、地球の将来への配慮、貧しい人々への配慮を欠いて行きます。それが虐(しいた)げです。

  人間は美食やグルメや、生活の豊かさのレベルを中々下げられません。それは下げられず、自然や弱い人々、いと小さなものへの心が鈍って行きます。今の生活レベルを維持する事が、他のものたちを思いやる以上に大事になり、優しさの思いはあっても、優しさを出し惜しむのです。事によったら権力をもってそれを守り、言論統制で守り、軍事力で守り、富国強兵で守るでしょう。先日の皇太子の弟、秋篠宮の発言は、彼の魂の叫びと言っていいでしょう。今の天皇制では政治には不介入と言って幽閉され、かなり言論と思想のしわ寄せが行っています。あの様子では、普通の人間なら虐げられているという感覚を持つでしょう。皇室と言えども普通の人間です。

  逸れましたが、経済活動の暴走による地球環境の破壊がある限度を越えれば、必ず、「その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる」と言われるような、取り返しがつかないことが起こると予想されます。COP24でも各地のNGOや科学者が警鐘を鳴らすでしょう。私のメキシコの知人は今そこに行って、フェイス・ブックで色々配信して来ます。

  地球環境の悪化はあらゆる国の、あらゆる人々、あらゆる生物たちに襲い掛かるに違いありません。この意味で資本主義経済は、私たちの胃袋と共に大改革を迫られています。欲望の問題が人類の最も大きな課題です。

  イエスは最後に、「しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい」と言われました。

  人の子イエスの前に立つことができるために、私たちはどう生きればいいのでしょうか。個人としての生き方、社会としての在り方、わが国と世界の在り方が、今日ほど問われている時代はありません。子どもたち、孫たちの世代に、安心できる良い環境を残す。即ち子どもと孫たちを愛するために目を覚まして行きたいと思います。

  最初に戻って、それではどうしてこの個所がイエスの降誕を待つこの時期に読むように選ばれたのでしょう。イエスの誕生も全く予期しない時に起こったからでしょう。エルサレムの住民も、ヘロデ王も、東方の博士の言葉に驚き、慌てたのです。

  しかしイエスの誕生は必ず起こり、ベツレヘムの動物小屋で産声を上げられました。終末も突然来ます。

  み子は来たる。来られるのです。このみ子の前に、私たちが立つことができるように目を覚まして生きていきましょう。み言葉を信じ、おこなう人は幸いです。たとえ洪水が来ても、堅く建ち続けることができると、先週の所でイエスは語られました。


    (完)

                                              2018年12月2日




                                              板橋大山教会  上垣勝





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