びくともしない拠り所


          ビアトリックス・ポターもここに住むまではこのホテルに滞在しました      右端クリックで拡大
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                                                み子は来たる (上)
                                                ルカ21章29‐36節



                                 (1)
  最後に胸にストンと落ちる、子どもへのさわやかなメッセージをありがとうございました。

  さて、今日からみ子の誕生を待つ降誕節アドベントが始まります。4回のアドベントの後、いよいよクリスマスです。

  今年のアドベント第1週に指定された聖句は今お読み頂いた個所ですが、これは世の終わり、終末の予告を告げる聖句です。一体どうして終末を予告するみ言葉がクリスマス前に読まれるのでしょう。

  こうありました。「それから、イエスはたとえを話された。『いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。』」

  イエスはしばしば、身近なことから話されます。それは、苦労する身近な民衆と共にあろうとし、虐げられていた彼らの間で生活し、民衆に近い所にご自分を置かれた証拠です。

  イチジクが芽を出すのは日本では4月下旬で、すぐ初夏になり、緑色の実が着いて8月には甘く熟します。「葉が出始めると夏が近づいたことが自ずとわかる」とイエスが言われた通りです。

  イエスは、自然の何かを譬えにして語ることが多くありました。自然現象は誰も疑えない事実です。それを譬えに、そこから飛躍して神について、神の国や信仰について語られました。神の存在もご支配も信仰も目に見えないものの、イエス様にとっては疑う余地にない事実だからです。今日の個所でも、終末、神の国が来ることの譬えへと急に飛躍して、イチジクの葉が姿を現したら、「それと同じように、あなたがたは、…神の国が近づいていると悟りなさい」と言われました。

  詩人は、自然や生活の一コマに触れて、そこから何かを洞察することが多くあります。詩人はしばしば哲学者です。人生と人間を深く洞察したイエスが詩人だと言われることにも、自然や日常生活を比喩に用いることが多かったからでしょう。

  イエスは「これらの事が起こるのを見たら」と言われました。「これら」とは、21章5節以下で語られた、エルサレム神殿の崩壊と滅亡、太陽や月星など天体の異変や恐るべき現象、また戦争や動乱、大地震、飢饉、疫病、迫害などを、終末の兆しとして語られたことを指します。

  ただ、それがすっかり起こるまでは、この時代、この世は決して滅びないとも語られました。色々な前兆は起こる。だがすぐに終末が来るのではない。じたばたするなということです。神の国、即ち神のご支配は、イエスと共に既に近づきましたが、神の国自体は全体的に到来する。部分的なことではないということです。だからビクビクするなと言う事です。しかしまた、兆しと思えるものが起これば、それを神の国の前兆として考え、あなた方の生活を改めよと語られたのです。

  この辺にイエスの健全さが窺(うかが)われます。

  ところで、世の終わりを異常に強調するキリスト教に似た団体、エホバの証人ものみの塔)があります。終末の裁きを強調して信仰に入らせます。これが異端とされ、キリスト教でないのは、終末を異常に強調する不健全さだけでなく、聖書を自分たちに都合のいいように勝手に変更して説いている所にあります。聖書を持っていますが、あちこちチョコチョコ変更したお手製の聖書です。その偽(にせ)聖書を使って説いているのです。一般の信者はそんな真偽まで検討できませんので、丸め込まれます。

  彼らの主張は問題が多いですが、彼らと違った意味でイエスの終末の警告を聞きたいと思います。

  私は青い空を仰ぐのが好きです。東京ではあまり仰ぎませんが、空を見上げると空は全く傷がありません。偽りもない。どこまでも真実で深く青々して、軽く綿雲を浮かべ、刻々と表情を変えます。山などの大自然の中で空を仰ぐとそれだけで感動します。まさに悠久なる天です。だが、この天も滅び、地も滅ぶと言われたのです。始めがあった。必ず終わりがあると言われるのです。

  世界は、永久、無限ではないということです。宇宙の百数十億年の歴史からすれば、人の一生は実に一瞬です。歴史の始まりも終わりも、色々な説は立て得ても誰も見ることはできません。そんな世界も必ず儚(はかな)く終わるのです。

  人間の拠り所は儚く、ご近所に「拠り所」という飲み屋がありましたがいつの間にか廃業して今は空き家になっています。ご事情があったのでしょうが、人の拠り所は実に儚い。

  だが、たとえそうでも、世界と宇宙の歴史を貫き決して滅びないものがある。それが、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」という約束です。

  色々な前兆があってもビクビクするな。ジタバタするな。「すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」何と頼もしい言葉でしょう。たとえ天地が滅びても、「私の言葉は決して滅びない。」そんな事ではびくともしません。ここに、あなた方が信頼すべき唯一の拠り所があると断言されるのです。

    (つづく)

                                              2018年12月2日




                                              板橋大山教会  上垣勝





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