一本の木では力強く燃えない


       ボウヌスからウインダミア湖の対岸に渡るとヒル・トップに向かう乗り合いバスが待っていました。
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                                                 何事も愛をもって (中)
                                                 Ⅰコリント16章13‐14節



                                (2)
  13、4節は暫く飛ばして15節以下を見ますと、「ステファナの一家」の事を記して、この一家はアカヤ州、すなわちギリシャのこの地方で、初めて信仰に入った信仰の初穂であること、それだけでなく「聖なる者たちに労を惜しまず世話をしてくれました」と記します。信仰は単なる長さではありませんが、長きにわたってこの一家は信仰に堅く立ち、労を惜しまず伝道者を支えたのです。この一家は真に信頼でき、頼りがいのある人々であった。

  伝道者は独りでは何もできません。背後で支える人たちがいて進展します。竈(かまど)は、太い木一本をくべても燃えません。太い木や細い木や色々の木がくべられ、特に数本の太い木が協力して勢いよく長く燃えるのです。伝道者を支える人が何人かいて一緒に燃えると、初めは弱くてもやがて勢いが増してきます。ステファナ一家はまさに、伝道者と一緒に働き、労苦を共にした一家であること。そして彼らだけでなく、そういう事をしている「全ての人たちに従ってください」と語ります。私たちはどこにいても頼り甲斐のある人になりたいものです。もし身を粉にして伝道を支えるのでなく、ただ皆の前で大風呂敷を広げたり、大法螺を吹いているだけの人に従っていては、教会はおかしくなると警告しているのでしょう。

  その他、「ステファナ、フォルトナト、アカイコ」の事も記します。彼らはコリント教会の信徒で、エフェソまで来て、教会を代表してパウロを助けたのです。彼らも信仰に堅く立つ人たちであり、勇敢にも一時仕事を休んで遥々エフェソまで来て奉仕してくれた。こうした人を重んじて欲しいと願っています。彼らは腰を入れて教会を担っている人たちなのでしょう。

  次に、アジア州の諸教会の事です。アジアというと日本や中国などをアジアと考えていますが、元々アジアとは、ヨーロッパから見て日が昇るという意味です。トルコから東の全地域を指します。イスラエルも、イラクもインドも、東南アジアも東アジアも、ヨーロッパ以外のユーラシア大陸の大半がアジアです。ただ、聖書にあるアジア州は、やがて小アジアと呼ばれるようになり、私たちの東洋がアジアと呼ばれるようになりました。歴史と共に、言葉の定義が変遷したのです。

  パウロアジア州の諸教会からの挨拶を述べ、アキラとプリスカからの挨拶、その家の教会の人たちからの挨拶も記しています。この夫婦は、パウロの命の恩人で、パウロを助けると共に、その家が教会として捧げられていたのです。


       (つづく)


                                                  2018年11月18日



                                            板橋大山教会  上垣勝



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