復活の時、障碍を持たない


   湖畔の町ボウヌスを歩く(4)、自由酒場の名は羽のあるThe flying pig。誰もが自由になれる場のようでした。
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                                                死者の復活 (2)
                                                Ⅰコリント15章42‐49節
 


 (前回からつづく)

  話をもう少し具体的にしましょう。障碍(しょうがい)をもって生まれる方々があります。あるいは老人になって手足が自由に動かないし、手助けなしには動けない人もあります。私などは少々認知症気味です。老いて始まったのでなく、18、9才のころから既に認知症気味でしたし、30才で老眼を掛けていましたね。また生まれつき知能に大きなハンデを持つ人たちもいます。

  かつて日本政府は、重い障碍を負った人たちに不妊手術を施しましたので、今、大問題になっています。ハンセン病の人たちや聾唖の人たちにも不妊手術を強制していた訳です。強制とは人としての尊厳を無視したことでした。政府は、謝罪すると言いますが、誰が謝罪するのか、謝罪する主語は誰か。「私たち」にすると言うのです。私たちというのは、政府関係者も含むかも知れませんが国民という意味でしょう。国民全員がこれらの人たちにお詫びするとは、なんと酷いお詫びでしょう。お詫びになっていません。政府は責任を免れようとしているわけで、今の政府の心がどこにあるのか、本当に酷いです。

  そのような心だから、韓国の元従軍慰安婦の人たちにも、今問題になり始めた徴用工の人たちにも、何年たっても「心からの率直なお詫び」が出来ず、解決を難しくしているのではないでしょうか。本来なら、「元徴用工の皆さん、私たちが忘れそうになっていた重い罪をもう一度気づかせてくれてありがとう。皆さんの中には強制とまではいかない人もあったでしょうが、半ば強制的に徴用されたり、有無を言わせず強制されて日本に連行され強制労働をさせられた人たちもいました。今もトラウマを抱えている方々もおられるでしょう。申し訳ありませんでした。何回お詫びしてもお詫びし切れる事ではございません」というべき問題です。そのような悔いた謙(へりくだ)った心だけがこの問題を真の解決へと導くでしょう。詩編に「神よ、あなたは砕けた悔いた心を軽しめられません」とあります。このような人間味ある心が政治においても大切です。ドイツなどは、指摘を受けるとそのような心で接しています。今回は朝日新聞が1面に酷い文章を掲載しました。これには驚きました。そこに人間の質が露呈していないでしょうか。

  逸れましたが、障碍を持つ人の復活の体は今の自然の体と同じではないのです。復活の体は身体障碍、知的障碍を越えています。霊の体ですから、今の体は両足がなくても、両眼が見えなくても、霊の体に甦った時にはハンディを持たない体です。癌は体を蝕(むしば)んでも、魂を、人格を蝕むことはできません。こういうことを死者の復活は示唆しています。

  お分かりでしょうか。しかし理解し、納得するには、難しい所があります。復活は神秘な出来事だからです。パウロはその神秘なことを何とか理性の言葉で分かるように語るのです。しかし事柄は神秘ですし、秘義ですから、人の力では限界があり、解明することはパウロとても不可能です。だが不可能ですが、何とか理性の言葉で説明しようと努力して惜しまないのです。

  私はこういう彼の誠実な姿にも心打たれます。こういう誠実な人は社会でなかなかいません。

  いずれにせよ、パウロは、イエスを信じる者たちにとっては、死は敗北でなく、勝利への入り口だと語るのです。こう言ってもいいでしょう。死は必然であるが、絶対ではない。誰も彼もが死の前にひれ伏すとは思うなということです。「死よ、驕るなかれ」という本がありますが、そこに、「お前が与える恐怖は、人の心を映す鏡に過ぎない」とありました。結婚する人たちは幸せを前にしています。だが心に100%不安がない訳はありません。幾分かの不安があり、恐れさえあるのが自然な姿です。それが人間です。ましてや死を前にする人間の心には不安が行き交いますから、死はその心を反映します。ただそれは心の反映であって、死の向こうに復活があることまで、死は映し出すことはないのです。

  来週は永眠者記念礼拝を持ちます。聖書は、死は一時の眠りだと語りますが、その眠りがすめば私たちは元気に希望の朝に向かって目覚めるのです。それが死です。私たちは新しい世界、霊の体の世界へと蒔かれるのです。


       (つづく)


                                     2018年11月4日


                                     板橋大山教会  上垣勝



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