善人づらして生き、朽ちる?


湖畔の町ボウヌスの中心街で下車。少し避暑には早い時期です。カメラ側の古い教会前にバス停がありました。
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                                       何を受け継ぎますか (3)
                                       Ⅰコリント15章1-11節



                               (3)
  彼は、「最も大切なこと」として先ず、「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと」を挙げます。イエスの死は仮死ではありません。私たちのために現実に死んだのです。死というのは、歴史的に何年、何月、何日、何時、何分、何秒に、どこそこで、エルサレムの郊外ゴルゴタの十字架上という特定の場所で、ただ一回限り起こった客観的な事件です。

  しかもその死が、「わたしたちの罪のために死んだ」死であったこと。私たちの贖罪、罪の贖いの死であったこと。私たちの罪と愚かさからの救いのための死であったことです。これは何百年も前から聖書で預言されて来たもので、イエスにおいて成就した。それが「聖書に書いてあるとおり」と彼が書いたことです。

  そして、「葬られたこと。」完全な葬りです。イエスの完全な葬りにおいて、神の愛が私たちに届くのです。イエスが葬られなければ、私たちの罪も愚かさも葬られません。本来私こそ葬られなければならない所を、代わって、葬られて下さった。ここに私への恵みがあります。

  私など愚かで、女性の心は知りませんが、男性はというより私は、高校時代は性の問題が、セックスの問題が毎日のように頭の中を占めました。愚かだと思うかも知れません。軽蔑されるかも知れませんが、心の90%以上を女性のなまめかしい身体が占めていた日々もありました。だが、それでいいのかと内なる声が咎(とが)めるのです。それでも、良心の声に反してちょっと悪さが起ってしまう。「私は善をなそうとする意志はあるがそれが実行できない。自分の望む善は行なわず、望まない悪を行なっている」(ローマ7章)。わたしの心の闇にはそんな自分が無数に蠢(うごめ)いていました。

  だから薬物依存から抜け出せない人たちの苦しさが分かります。

  やがて知ったドストエフスキーが、「地下室の手記」の中で、「どんな人の思い出にも、誰彼なしに打ち明けられず、本当の親友にしか打ち明けられないような事があるものだ。また、親友にも打ち明けることができず、自分自身にだけ、それもこっそりとしか明かせないような事もある。更に、最後に、もう一つ、自分にさえ打ち明けるのを恐れるようなこともあり、しかも、そういう事は、どんなにきちんとした人の心にも、かなりの量、積り溜まっているものなのだ」と言っていますが、これが人間の実態です。誰にも言えない、自分にも打ち明けれない罪と愚かさをどう解決するのか。それは人間の深い闇の部分です。やがてイエスに出会ってこそ光が見え始めるのです。それがないと結局うやむやにして、ほっかむりして善人づらして生き、朽ちて行くのです。

  イエスはこの誰にも言えない問題を解決するために来られたのです。

  「また、聖書に書いてあるとおり3日目に復活したこと。」復活は信じ難い事です。しかしキリストの甦りは、次の顕現において明らかであり、それ以上にパウロ自身への顕現においてはっきり確かめられると語るのです。そしてこれは、パウロ以降の時代にも、キリストを信じる者たちすべての人々の上に起きることを語っています。

  それが、5節以下の、「ケファに現れ、その後12人に現れたことです。次いで、5百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」と、彼が書いていることです。

  イエスの顕現は個人的な幻覚や幻想でなく、また錯覚といったものでもなく、客観的に幾人もの正常な人たちに起こったのです。復活のイエスの顕現は様々な人によって確認され、個人に起り、集団に起り、500人以上がいる時に起り、その証人の幾人かは既に召されたが多くの人がまだ生存中である。そしてその後も、復活のイエスが個人に現れ、すべての使徒たちに現われ、最後に自分のような者にも現われたというのです。

  パウロは、「最後に自分のような者にも現われた」と述べましたが、一体彼はこの事で何を言わんとしているのでしょう。


     (つづく)


                                          2018年10月14日



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