知識の切り売りでなく、生きる


    ウインダーメアの駅前から市内バスに乗ろうとすると、空はどんより暗く曇り、
          黒い石造りの家々が異様とも言える光景をかもし出していて、
                 思わず遥か遠く異境の地にやって来たと思いました
                       さすがはケルト語圏です、ケルト風の模様もあります。
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                                       何を受け継ぎますか (1)
                                       Ⅰコリント15章1-11節



                               (序)
  今朝は、子どもたちは楽しいゲームで元気に遊んだ後、Aさんがメッセージをして下さり礼拝が出来ました。

  子どもの前で話すには、何を話すかを先ず決めなければなりませんが、その後、子どもの言葉に翻訳しなければなりませんし、子どもが分かるように彼らの経験を盛り込んだりして話す必要があります。ですから、お話するのは簡単に見えるかも知れませんが、中々難しいことです。今日のAさんはこれで3回目ぐらいでいらっしゃいますか。暫らく前には、前に立つと足がガクガクします、手が震えますと言っておられました。そこを皆さんが努力してお話下さっています。今日も本当にありがとうございました。

                               (1)
  コリント信徒の手紙Ⅰは16章に渡る手紙です。日本語の活字で本にして約25ページありますから、原稿用紙70ページほど。中論文に匹敵しますから、これを手紙で書くとなると大変だったでしょう。しかも当時は高価なパピルスにじかに書いた訳で、間違えばパソコンのように簡単に修正できませんし、実際的にこれだけ膨大な手紙を書き直すのは出来ませんから、精神集中がいる大変な作業だったでしょう。

  膨大な長い文章を書くと分かりますが、途中で今何を書いているのか、また中心は何を言わんとしているのかが分かり難くなることがあります。それで、パウロはこの手紙を14章まで延々と書いて来て、今、「兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます」と、語りたいことを手短に、再度「最も大切な事」は何かをはっきりさせようとするのです。

  その最も大切なこととは、コリントの人たちが洗礼を受ける時に受け入れ、今では、「生活のよりどころとして」堅く守り、それを基盤に生活している福音だと言うのです。それをしっかり自覚して生きるなら、また福音がどんな風に語られたか、何を強調して語られたかを覚えているなら、「この福音によって救われる」ものに他ならないと語ります。

  パウロは信仰の知識を切り売りして語ったのではありません。彼は信仰を生きたのです。それで信仰をどう生きているかを語りましたから、私がどう語ったかを覚えいて、皆さんも生きて下さいと言うわけです。

  それと共に、洗礼を受けても福音を基盤に生活しなければ、「あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう」と、ためらうことなく率直に語っています。

  私たちが月に1回礼拝で唱える「日本キリスト教団信仰告白」に、「新旧約聖書は……信仰と生活の誤りなき規範なり」とありますが、パウロがここで語るのもほぼ同じです。私たちは聖書を生活と救いの拠り所、規範としますが、そうでなければ「信じた事自体が無駄になってしまう」と彼が語ることは、今日(こんにち)もその通りでしょう。

  むろん私たちの正直な思いは、自分は聖書がまだまだ十分な拠り所になっていない弱い者であるという事かも知れません。しかし、努めて聖書に従って生きたいと願い、何とかあなたの御心に適う信仰者にして下さいと祈り、信じたことが無駄にならないように追い求めていると言ってよいでしょう。この祈りを絶やさないようにしたいと思います。

     (つづく)


                                          2018年10月14日



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