雑音の中で大切なものを聞き取る


        湖水地方の玄関口、ウインダーミアに到着。ロンドンから約3時間。     右端クリックで拡大
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                                         愛を追い求めよう (下)
                                         Ⅰコリント14章1-5節



                               (3)
  私たちはどんな事があっても、心が腐ってはならないのです。心を腐らせてキリストから離れてはいけません。主を信じ、主は必ずこの状態を抜け出させて下さると信じ抜くことこそ信仰です。

  教会は例えば経済がどうなろうと働き続けます。福音を信じ、宣べ伝えていきます。当然ですが、私たちは経済のために宣べ伝えているのではありません。一番いけないのは、主を忘れて心を腐らせる事です。するとドンドン後退します。主がおられる事を信じなければ後退は当然です。

  アブラハムは、「望み得ないのに、なお望みつつ信じた」のです。私たちは彼のこの信仰を継いでいます。ですから、「望み得ないのに、なお」という信仰をもって教会を造り上げ、兄弟姉妹を励まし、徳を高めて行こうではないかと、今日の個所は語るのです。

  パウロは、たとえ聖霊に導かれた異言であっても、自分を造り上げるだけの信仰であってはいけない。それを超えて欲しいと願うのです。自分だけを造り上げるのでなく、キリストの体なる教会を造り上げることが大事です。それが教会を愛することであり、キリストを愛するという事です。イエス様は貧しい人、悲しむ人、悩む人と共に生き、低くなって連帯されました。だからパウロは、兄弟姉妹の徳と教会の徳が高められるように、愛を追い求めなさいと語ったのです。

  先日、テゼのものを読んでいましたら、イザヤ書55章が引用されていました。「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。 なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い、飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば、良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。 耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ」という有名な個所です。

  預言者イザヤは、国が滅亡し指導者らが1万人も強制連行され、イスラエルの最も困難な時代に人々に語っているのです。国を再建するために、神の民を造り上げるために預言したのです。「社会的状況はどうであれ、神は今もあなた方を忘れておられない。バビロニア捕囚という難局にあるが神はあなた方と今も共におられる。神は新しい、更に良い未来をやがて切り拓いて下さる。だから主のもとに来て、神の言葉に耳傾け、神の約束を信じ、魂に命を得よ。」

  信仰は規則に従うことではありません。多くの雑音が聞こえる中で命より大切とも言える神の声を聞きとる事です。心を集中し、聴き耳を立てて、神の声を聞き取るのです。それが生活を安定させ、自信を回復させ、元気にするまことの食べ物です。

  祝宴のテーブルに載っているような豊かな食べ物、うまい飲み物が用意されている。それは金(かね)を払わずにタダで食べることができる。それが魂に命を与える神の言葉だと語るのです。

  社会は私たちの心を捕える事を色々と語ります。病の備えが必要だ。老後の蓄えが必要だ。保険が必要だ。高学歴が必要だ。英会話の時代だ。イヤ、中国語も必要だ。そして結局、金だ、金だ、金だ。ところがそれらを満たしても、私たちの最も深い欲求が満たされることがありません。「この水を飲むものはまた渇く」のです。必要なのは箴言が語るような、「貧しい人の一生は災いが多いが、心が朗らかなら、常に宴会にひとしい。」こういう家庭です。お金(かね)を求めて金で縛られ、自由と喜びを失っては何のためのお金でしょう。

  現代社会は人々を欲で釣って、お金を巻きあげようと競っています。単純化すれば、政府も国民を欲で釣っています。しかし欲を満たしても、それ程満足感がありません。むしろ次々、欲望が増えて行くだけです。

  欲で釣り上げている限り、必ずバブルが来、破綻が来るでしょう。既に今がバブルだと言う人々もいます。確かにその兆しがあちこちに現れています。釣り上げているだけですから、早晩こけるのは当然です。

  雑音が無数に交錯し、耳に達する中で、私たちはどう生きるのか。私たちが耳傾けるべきは神の言葉、命を得させる言葉です。預言の賜物をもって神の言葉を時代に対して語る事です。異言でなく、人々が分かる理性の言葉で愛をもって語ること。それが教会の為すべき事だと、パウロはコリント教会に向かって語ったのです。

        (完)


                                       2018年10月7日

                                       板橋大山教会  上垣勝



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