長命もよし、短命もよし


チャリング・クロス駅に着きました。ビルの左手にホテルがあって助かりました。なぜ助かったかは秘密です。
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                                           明日を思い悩むな (下)
                                           マタイ6章31‐34節



                               (2)
  去年から次々召された親しい6人の兄弟姉妹の事を何度も申しますが、この方々は皆、私たちの愛する、尊敬する皆さんでした。

  私たちはこの方々の死から、多くのものを学びました。私が、先ずこの方々から教えられたのは、死は恐ろしくないことです。6人の方が次々召される前は、正直まだ死が怖い所がありました。しかし、この方々によって死が身近になり、愛しくなりました。

  また死はサッと訪れ、それまで明日の事を思い煩っていた一切のものも、大水のように流し去り、神のもとへと連れて行くことを教えられました。死ぬのは少しも難しくありません。変な表現ですが、不眠症の私にとっては、死は熟睡よりも難しくないでしょう。死ぬことに楽観的であっていい事を教えられたのです。

  また、長く生きるもよし、長く生きないのもよしと、教えられた気がします。長寿社会ですが、長生きしよう。長生きしなければならない。人生はそんなものではありません。50代で死のだ人も、60代で死んだ人も敗北ではありません。

  一日、一日、明日の事を思い煩わず、自分の最期の日までできれば前向きに明るく生き、そして天寿を全うしてコロッと召される。神が迎えに来て下さる。それ以上に幸いはないし、家族に喜ばれることはないと思いました。

  さらに、何を残そう、何を残さない。そんなこともどうでもいい事です。亡くなれば、後の人たちに一切任せればいいのです。実際6人は今は、呑気に知らん顔しておられます。死ぬことや、死んだ後のことも思い煩うなんて本来何か違います。望んでその家に生まれた訳でなし、自分の望む時に死ぬわけでもありません。神がその時と場所を決めて下さるのです。

  「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」神の御心を求める。自分とこの世界に対する神の御心です。それが実現するように求めて行く。その時、悔いはないでしょう。明日の事まで思い煩うのは不要です。

  「空の鳥を見よ。野の花を見よ。」彼らを教師にして学びなさいと命じられたのです。教師にして学べば必ず多くの事が学べるでしょう。「そこから落ちて 斜面を2、3回 転がって止まったところ そこから 君は自分の未来を 造って行くんだ。」そんな事だって喜びを持って学べるでしょう。

                               (3)
  最後に、イエスは、「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」と言われました。

  思い煩いから、枝葉末節への拘(こだわ)りが出て来ます。一切を自分が処理しなければ気が済まないという思いが湧きます。しかしイエスが私たちを愛する故に言われる事は、「明日の事は、明日自らが思い悩む」という事です。この場合、「明日自ら」とは、「神自ら」と言い換えていいでしょう。神自らあなたの明日を整えて下さり、あなたを持ち運び、解決して下さるという事です。

  だから、「その日の苦労は、その日だけで十分である」のです。今日に心を向け、今日の神の御心を求めて生き、そこに力を尽くして生きなさいという命令です。花はそんなふうにして咲いています。思い煩いから解放され、神に委ねた喜びの生活が戻って来るための、私を愛する故の命令です。

  「その日の苦労は、その日だけで十分である。明日のことは明日自らが思い悩む。」イエスがこの様に言われるという事は、明日になれば明日、解決の道が与えられるのです。確かに小鳥たちは、明日の事まで考えずに今日を生きていて、神に任せ切ったその姿に驚かされます。それが、「そこから落ちて 斜面を2、3回 転がって止まったところ そこから 君は自分の未来を 造って行くんだ」ということでしょう。

  最後に纏(まと)めれば、その日がもたらす苦労を負いさえすれば十分です。明日は明日、解決の道が与えられるでしょう。思い煩うと、今、自分に与えられている恵みに気づけなくなり、その恵みを感謝しなくなってしまいます。

  野の花は、傷つけられても人を傷つけません。傷つけられても思い煩わない。欠ければ欠けたままで花を咲かせます。たとえ花が咲かなくても後ろ向きになりません。自分に委ねられた使命を果たして行きます。

  「明日の事を考えるな」ではありません。「思い煩うな」です。今日の苦労を十分担えば、神が働いて、必ず明日の苦労も担える筈です。その事への信頼。今日の苦労を十分担う人は、明日の事を考えています。思い煩って考えるのでなく、明日も今日のように担えると考えているのです。


       (完)

                                       2018年9月9日



                                       板橋大山教会  上垣勝



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