神の前で手ぶらになる


       イギリスの失業率は4.4%。ただ若年層は20%。
          バスから見るとフリート通りの給食活動に沢山の人が群れていました。
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                                           明日を思い悩むな (中)
                                           マタイ6章31‐34節




                               (1)
  イエス様は、今日の6章25節以下で、野の花、空の鳥を例に出して、彼らを見なさい、「思い悩むな」と語られました。前の口語訳では「思い煩うな」とありました。この言葉は25節以下で5回出て来ます。

  「思い悩む」「思い煩う」。これは元はメリムノーというギリシャ語で、「部分に分ける」という語と、「心に留める」という語から成る合成語です。小さく分けた細かい部分に心を留め、そこに気を配り、思い煩うのです。細かいものをあれこれと気にして森全体に目が行かないので、落ち着いて泰然となれない。個々への情愛が深いのかも知れません。個々の木を見てもそれをちょっと突き放して、森全体の中でバランスよく見ればいいのですが、バランスが崩れて気に病むのです。

  これは多くの現代人が持つ傾向であり、大人だけでなく大学生、高校生、中学生にまでまたがる現代病の1つです。

  そうした私たちにイエスは、野の花、空の鳥を見よと語られ、「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。…天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じだ。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」と言われたのです。一言で言えば、最も大事なものに心と魂を向け、神の前に手ぶらで生きなさいということでしょう。

  むろん自分の力、自分の才覚は大事ですが、自力で明日を、皆より先に、何とか切り拓いて行こうという涙ぐましい努力。何とかすれば、自分の努力で明日の生を確保し得るという思いから来る焦りです。「思い煩うな」というイエスの言葉には、その焦りからの解放の声が響いています。

  無論努力は結構です。しかし努力が一線を超えて、これまで自分が切り拓いて来たのだから必ず将来もそれができると、明日、明後日、一カ月後、一年後、10年後、20年後と、ドンドン将来のことまで心煩わせ過ぎて、それがのしかかって今日の自分に潰れるのです。

  野の花、空の鳥のように、今、生かされている事を素直に喜び受け留めるのを忘れて、ドンドン明日の思い煩いの方にのめり込んでいく。

  それに対して、「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」と言われたのです。

  思い煩いにのめり込むと、次々思い煩いが深まり、果てしがありません。思い煩いは依存症に似ています。それに囚われると、思い煩いが習慣化し、思い煩いの性格になり、病的にもなります。一種の生活習慣病です。思い煩いが始まったら、考えを切り変えるのが大事です。

  薬物依存症の人たちと接していると、一旦欲求が入ればそれから抜け出すのが一苦労だそうです。だからNAの集まりで1時間半、薬物をやめようと苦労したり、長くクリーンの人の話を聞いていると、いつの間にか欲求が消えているのです。彼らにとって大事なのは、最初の一回に手を出さないことで、「最初の一回はそれだけで多すぎ、千回やっても足らない事をあなたは知っている」と、彼らの冊子にあります。

  思い煩いと依存症は違いますが、思い煩いが始まれば考えを切り変えて深みに嵌(はま)らないのが大事です。思い煩いとは、先程も触れましたが、しなければならない多くの事に心が分かれている状態です。その結果一番肝心なことを見失うのです。そして焦燥感を持つ。

  どんなに濁ったコップの水も暫らく置けば澄んで来ます。私たちの心も神の前に静まるなら、暫らくすると澄んで来ます。思い煩いに必要なのは心を澄ますことです。神の前で手ぶらになると心の平和がやって来ます。

  「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」とあるように、先ず、神に心を向けるのです。「神の国」とは、私たちに対する神のご支配です。「神の義を求める」とは、神の意志に合致すること、神に服することです。

  要するに先程、切支丹たちは金銭欲や名利欲また上下社会を超えたと申し上げたように、人生と世界で最も大切なもの、それなしに人生はあり得ないものを、先ず求めなさい。枝葉(えだは)でなく人生の根幹になるものです。即ち神のご支配に先ず心を向けなさいという命令です。それに対し、枝葉(えだは)のゴミみたいなものに心を向けるから、思い煩いが深まるのです。

       (つづく)

                                       2018年9月9日



                                       板橋大山教会  上垣勝



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